パブロ・ピカソ 人物と思想

パブロ・ピカソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 21:06 UTC 版)

人物と思想

第一次世界大戦スペイン内戦第二次世界大戦という3つの戦争に、ピカソは積極的に関わらなかった。フランスの2度にわたる対ドイツ戦争では、スペイン人であるピカソは招集されずにすんだ。スペイン内戦では、ピカソはフランコファシズムに対する怒りを作品で表現したが、スペインに帰国して共和国市民軍に身を投じることはしなかった[注 4]。ピカソは青年時代にも、カタルーニャの独立運動のメンバーたちと付き合った。また、ピカソはアナーキスト的資質もあったといわれるが、実際にアナーキストとして活動をすることはなかった[20]

スペイン内戦中の1937年、バスク地方の小都市ゲルニカフランコの依頼によりドイツ空軍遠征隊「コンドル軍団」に空爆され、多くの死傷者を出した。この事件をモチーフに、ピカソは有名な『ゲルニカ』を制作した。死んだ子を抱いて泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったように嘶く馬などが強い印象を与える縦3.5m・横7.8mのモノトーンの大作であり、同年のパリ万国博覧会のスペイン館で公開された。ピカソはのちにパリを占領したドイツ国防軍の将校から「『ゲルニカ』を描いたのはあなたですか」と問われるたび、「いや、あなたたちだ」と答え、同作品の絵葉書を土産として持たせたという。

スペイン内戦がフランコのファシスト側の勝利で終わると、ピカソは自ら追放者となって死ぬまでフランコ政権と対立した。『ゲルニカ』は長くアメリカニューヨーク近代美術館に預けられていたが、ピカソとフランコがともに没し、王政復古しスペインの民主化が進んだ1981年、遺族とアメリカ政府の決定によりスペイン国民に返された。現在はマドリードソフィア王妃芸術センターに展示されている[21]

1940年にパリがナチス・ドイツに占領され、親独派政権(ヴィシー政権)が成立した後も、ピカソはパリにとどまった。このことが戦後にピカソの名声を高める要因になった(多くの芸術家たちが当時アメリカ合衆国に移住していた)。しかし本人はただ面倒だったからだとのちに述べている。ヴィシー政権はピカソが絵を公開することを禁じたため、ひたすらアトリエで制作して過ごした。ヴィシー政権は資源不足を理由にブロンズ塑像の制作を禁止したが、レジスタンス(地下抵抗組織)が密かにピカソに材料を提供したので、制作を続けることができた。

1944年、ピカソは友人らの勧めはあったにせよ、自らの意志でフランス共産党に入党し、死ぬまで党員であり続けた。何かとピカソの共産主義思想を否定したがる人に対し「自分が共産主義者で自分の絵は共産主義者の絵」と言い返したエピソードは有名である。しかし、友人のルイ・アラゴンの依頼で描いた『スターリンの肖像』(1953年)が批判されるなど、幾多のトラブルを経験した。1950年スターリン平和賞を受賞し、1962年レーニン平和賞を受賞した。


注釈

  1. ^ ピカソのフルネームには、さまざまな聖人や親族が含まれる。1881年10月28日に発行された出生証明書によると、彼はパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソPablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz Picasso)として生まれた[3] 。彼の洗礼の記録によると、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・クリスピン・シプリアーノ(他の資料ではクリスピニアノ)・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マリア・デ・ロス・レメディオス・アラルコン・イ・エレーラ・ルイス・ピカソPablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno Crispín Cipriano (other sources: Crispiniano) de la Santísima Trinidad María de los Remedios Alarcón y Herrera Ruiz Picasso[3][4] 名付け親が弁護士で、家族の友人であったJuan Nepomuceno Blasco y Barrosoであったことから、Juan Nepomucenoと名付けられた[3]。彼は誕生日に行われる10月25日月曜日のサンクリスピンデーにちなんで、Crispín Ciprianoと名付けられた 。Nepomucenoの妻であり、ピカソの名付け親であるMaría de los Remedios Alarcón y Herreraも、ピカソの洗礼名の中で尊重されている [3]
  2. ^ イギリス: [ˈpæbl pɪˈkæs]アメリカ: [ˈpɑːbl pɪˈkɑːs, -ˈkæs-]スペイン語: [ˈpaβlo piˈkaso]
  3. ^ カサヘマスはピカソらとともにパリに出て、ジュルネーヌという女性に思いを寄せたが失恋した。心配したピカソに連れられて一度スペインに戻るが、その後ひとりでパリに行き、カフェで談笑するジュルネーヌに銃弾を浴びせたのち、自分の右こめかみを撃って自殺した。ジュルネーヌは命を取り留め、長命している。
  4. ^ 内戦時にピカソは50代後半であった。兵卒は30歳前後でも老兵と言われる。彼が従軍を望んだとしても、兵卒としては勿論、たとえ尉官クラスの将校待遇にしてもらえたとしても、そもそも実戦に従軍すること自体が体力的にまず不可能であった点は充分な留意が必要である。

出典

  1. ^ Pierre Daix, Georges Boudaille, Joan Rosselet, Picasso, 1900-1906: catalogue raisonné de l'oeuvre peint, Editions Ides et Calendes, 1988
  2. ^ a b アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p67 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
  3. ^ a b c d Cabanne, Pierre (1977) (英語). Pablo Picasso: His Life and Times. Morrow. p. 15. ISBN 978-0-688-03232-6. https://books.google.com/books?id=H-DqAAAAMAAJ 
  4. ^ Lyttle, Richard B. (1989) (英語). Pablo Picasso: The Man and the Image. Atheneum. p. 2. ISBN 978-0-689-31393-6. https://books.google.com/books?id=vbZIAQAAIAAJ 
  5. ^ 「ピカソ」 p.16 岡村多佳夫著。
  6. ^ a b 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p5 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
  7. ^ a b ピカソ展カタログ編集委員会「PABLO PICASSO EXHIBITION-JAPAN 1964」毎日新聞社 1964年
  8. ^ 日本郵趣教会浜松支部
  9. ^ 布施英利『パリの美術館で美を学ぶ ルーブルから南仏まで』光文社、2015年、242頁。ISBN 978-4-334-03837-3 
  10. ^ ピカソとバレエ・リュス英語版参照
  11. ^ 【寄稿】ピカソ作「韓国での虐殺」は6・25戦争の虚偽宣伝物だ(朝鮮日報日本語版)”. Yahoo!ニュース. 2021年6月6日閲覧。 “ スペインに生まれフランスで活動してきたピカソは、1944年にフランス共産党へ入党し、その翌年のインタビューで「私は共産主義者であって、私の絵は共産主義の絵だ」と表明した。”
  12. ^ Kimmelman, Michael (1996年4月28日). “Picasso's Family Album” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/1996/04/28/magazine/picasso-s-family-album.html 2022年12月14日閲覧。 
  13. ^ Most prolific painter”. ギネスブック. 2023年1月7日閲覧。
  14. ^ ピカソのフルネームとギネスの認定について知りたい。”. 国立国会図書館. 2023年1月7日閲覧。
  15. ^ Voorhies, James. Pablo Picasso (1881–1973), Heilbrunn Timeline of Art History, The Metropolitan Museum of Art, New York, 2000
  16. ^ Wattenmaker, Richard J.; Distel, Anne, et al.,1993, p. 194
  17. ^ Richardson John. A Life Of Picasso. The Prodigy, 1881–1906, Dionysos p. 475. New York: Alfred A. Knopf, 1991. ISBN 978-0-307-26666-8
  18. ^ a b 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p48 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
  19. ^ 回想記『ピカソとの日々』(フランソワーズ・ジロー/カールトン・レイク共著、野中邦子訳、白水社、2019年)がある。
  20. ^ 「ピカソ」p.62。角川文庫
  21. ^ 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p61 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
  22. ^ 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p66-67 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
  23. ^ 「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい ピカソ 生涯と作品」松田健児 p66 東京美術 2006年2月1日初版第1刷発行
  24. ^ a b 「美術品オークション、過去の高値上位10作品」.AFPBB 2015年5月12日 2018年9月8日閲覧。
  25. ^ ピカソの絵画が100億円超で落札、美術品の最高記録更新.ロイター 2010年5月5日
  26. ^ 盗難に遭ったピカソらの名作7点、容疑者の母親が「焼却」.AFPBB 2013年7月17日
  27. ^ パブロ・ピカソが描いた絵画 “花かごを持つ少女” が約125億円で落札される”. HYPEBEAST (2018年5月10日). 2019年5月17日閲覧。
  28. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3091079 『「ティファニー」パロマによるメンズジュエリー発表』AFPBB 2016年06月20日 2017年7月11日閲覧
  29. ^ Cole, Ina (2020年12月18日). “Nowgoal”. Art Times. 2023年8月閲覧。
  30. ^ Lewis, Richard (2014年3月9日). “The Dove: Picasso and Matisse”. Lewis Art Cafe. 2020年12月18日閲覧。






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