パトリス・シェロー パトリス・シェローの概要

パトリス・シェロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/22 15:21 UTC 版)

パトリス・シェロー
Patrice Chéreau
本名 Patrice Chéreau
生年月日 (1944-11-02) 1944年11月2日
没年月日 (2013-10-07) 2013年10月7日(68歳没)
出生地 メーヌ=エ=ロワール県レジニエ
国籍 フランス
主な作品
監督作品
王妃マルゴ』(1994年)

出演のみ
アデュー・ボナパルト』(1985年)
 
受賞
カンヌ国際映画祭
審査員賞
1994年王妃マルゴ
ベルリン国際映画祭
金熊賞
2001年インティマシー/親密
銀熊賞(監督賞)
2003年ソン・フレール -兄との約束-
青い天使賞
2001年『インティマシー/親密』
セザール賞
監督賞
1998年『愛する者よ、列車に乗れ
脚本賞
1983年『傷ついた男
その他の賞
ルイ・デリュック賞
2001年インティマシー/親密
備考
第56回カンヌ国際映画祭 審査委員長(2003年)
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略歴

ティーンエイジャーの頃から演劇に興味を持ち、19歳の時には演出家として活躍していた。22歳の時、パリ郊外のサルトルーヴィル市立劇場の監督に抜擢される。その後国立民衆劇場やナンテール・アマンディエ劇場の監督も務め、数々のオペラ演劇を演出して話題となる。特に1976年バイロイト音楽祭にて上演されたワーグナーの『ニーベルングの指環』や、1979年ガルニエ宮にて上演されたベルクの『ルル』は高い評価を得た。

1975年に初めての映画監督作『蘭の肉体』を発表。2001年に『インティマシー/親密』でベルリン国際映画祭金熊賞2003年には『ソン・フレール/兄との約束』で同祭の銀熊賞をそれぞれ受賞している。

俳優としても、フランス・ポーランド合作映画『ダントン』(1983年アンジェイ・ワイダ監督)や、ハリウッド映画ラスト・オブ・モヒカン』(1992年マイケル・マン監督)などに出演した。

2013年10月7日、肺がんのため死去。満68歳没[1]。墓所はパリ東部のペール・ラシェーズ墓地、division 16のchemin de La Bedoyère沿いにある。

主な監督作品

主な出演作品




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