バロック 文学と哲学

バロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 21:57 UTC 版)

文学と哲学

バロック文学は、広く見られるメタファーアレゴリーの使用と、マラヴィリア("Maraviglia", 不思議、驚き――マニエリスムでのように)の探求の中でのトリックの使用としてまとめられる新しい価値を示した。マニエリスムがルネサンスに最初の穴を開けたのだとすれば、バロックはルネサンスに正反対の応答をした。人間の心理的な苦悩――確固とした拠り所を求めてニコラウス・コペルニクスマルティン・ルターの起こした革命の後では放棄された主題、「人間の究極の力」の証し――が、バロック期の芸術や建築では再び見出される。ローマのカトリック教会が主要な「顧客」であったので、作品のテーマは宗教的なものとなった。

芸術家たちは細部に気を配るリアリズム(典型的な「複雑さ」とも言える)を伴うヴィルトゥオジテ(名人芸――ヴィルトゥオーゾはあらゆる芸術に共通のあり方となった)を追求した。

外形に与えられた特権が、バロック作品の多くに見られる内容の欠如を埋め合わせ釣り合わせるであろう。例えば、ジャンバッティスタ・マリーノのマラヴィリアは素朴な形式によって作り出されており、観客、読者、聞き手などに幻想と想像が引き起こされる。全ては個人としての人間に焦点が当てられており、作者もしくは作品そのものと、その受け手、顧客との直接的な関係となっている。芸術とその受け手の距離が縮まり、両者を隔てていた文化的な溝がマラヴィリアによって解消されている。個人への注目は、こうした図式によってロマンツォ(小説)などのような重要なジャンルを作りだし、それまでの通俗的もしくは局所的な芸術形式、特に教育文学を脇に押し退けた。イタリアでは、この個人へと向かう運動(「文化的な下降」であるとも言われ、バロックと古典主義との対立の原因であるともされる)はラテン語からイタリア語への決定的な移行をもたらした。

イギリス文学では、形而上詩人たちがこの運動に近い。その詩は一般的でないメタファーを、しばしば細心の注意を払って用いていた。パラドックスと、意図的に作り出された普通でない言い回しへの好みが現れていた。

演劇

演劇の領域では、練り上げられた奇想、プロットの頻繁な転換、(例えばシェイクスピアの悲劇のような)マニエリスムの典型的なシチュエーションといった要素は、あらゆる芸術を1つに統合したオペラによって取って代わられた。

モリエール『ドン・ジュアンあるいは石像の宴』(1682)

フランスではピエール・コルネイユ(『舞台は夢』)、モリエール(『ドン・ジュアンあるいは石像の宴』)、スペインではティルソ・デ・モリーナ(喜劇『信心深いマルタ』Marta la piadosa、史劇『セビリャの色事師と石の招客』)、ロペ・デ・ベガ(喜劇La estrella de Sevilla)、ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ(『人生は夢』)など、バロック期には多くの作家が劇作品を書いた。

バロックは知的な分析よりも感情や感覚を好み、本当らしさよりも幻想を推し進め、調子の統一性よりも移ろいやすさや矛盾に重きを置き、単純さよりも複雑さを取った。

チェスキー・クルムロフ城のバロック劇場の舞台

幻影(illusion; 幻想、幻)もまたバロックの特徴であり、多くの面を持つ宝石のような様相を呈する。 多くの作品は紋中紋劇中劇)の構造を持っていた。 コルネイユの『舞台は夢』では、父親がその息子が世の中を動き回るのを見るという劇を観客は見るのであるが、それ自体がまた劇であると明らかになる。このことによって、作者はその演劇の弁護に力を与え、観客を魅き付けてその視点に従わせる。人物たちも、観客と同様に、その時々で幻影の犠牲となる。プリダマンは戯曲の977行目で息子が死んだと信じ、マタモールは自分自身の嘘を信じている。『舞台は夢』は演劇について語るだけではない。人物たちを通して、この作品は17世紀に普及していた他の文学ジャンルをも呼び出している。クランドールがピカレスクな主人公であり、大胆不敵で御都合主義、放浪と冒険好きである一方で、アルカンドルは牧人劇に出て来る魔術師の化身のようである。同様に、マタモールの人物像はラテン語の喜劇に登場する典型的なほら吹き兵士に対応している。

バロックの美学は動き、変わりやすさ、矛盾アンチテーゼなどに依拠している。人物たちはある感情の色調から別のものへと移り変わる。彼らは過剰や激情の只中にいる。語りは聞くよりもむしろ見るものであり、修辞技法の眼前描出法によってイマージュを喚び起こし、魅せることが重要となっている。古典主義の美学が統一性を追求するのに対し、バロックは複数性に喜びを見出し、列叙法の趣味を持つ。バロックは1つのメダルの両面を見せる――真実は嘘と、現実は夢と、生は死と不可分のものとなっている。

劇場では、人物の動きを目立たせるある種の演出(照明、演技、衣装、装飾……)もまたバロックの表現に一役買っている。


注釈

  1. ^ シャルル・ガルニエが皇后にガルニエ宮は何様式であるかと尋ねられた時の返答「ナポレオン3世様式にございます、妃殿下」が想起されるであろう。ルネサンス新古典主義、ルイ15世様式が混淆した当時流行の様式はそれほどまでに定義困難なものだったのである。
  2. ^ sub specie aeternitatis. スピノザ『エチカ』にある言葉。

出典

  1. ^ Olívio da Costa Carvalho, Dicionário de português-francês, Porto Editora, 1996 ISBN 972-0-05011-X
  2. ^ Helen Hills Rethinking the Baroque
  3. ^ Albert Dauzat & al., Dictionnaire étymologique Larousse, 1989 ISBN 2-03-710006-X
  4. ^ Dictionnaire de L’Académie française, 1re édition. (オンライン版
  5. ^ Dictionnaire de L’Académie française, 4e édition. (オンライン版
  6. ^ Source : Claude Lebédel, Histoire et splendeurs du baroque en France, édition Ouest-France, Rennes, 2003.
  7. ^ Dictionnaire de L’Académie française, 7e édition. F. Didot, Paris, 1878 (オンライン版
  8. ^ Heinrich Wölfflin, Renaissance und Barock: Eine Untersuchung über Wesen und Entstehung der Barockstils in Italien, 1888
  9. ^ Helen Gardner, Fred S. Kleiner, and Christin J. Mamiya, Gardner's Art Through the Ages (Belmont, CA: Thomson/Wadsworth, 2005), p. 516.
  10. ^ The Life of Marie de' Medici Archived 2003年9月14日, at the Wayback Machine.





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