バルチック艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 09:29 UTC 版)
ソビエト連邦時代
バルト海艦隊の水兵たちはロシア革命において革命側を熱烈に支持し、十月革命でのソビエトの権力奪取を支援した。また、続くロシア内戦や、列強による干渉戦争でもバルト海艦隊は戦った。しかし独裁化するボリシェヴィキと、バルト海艦隊の水兵たちの意見の相違が大きくなり、1921年にはクロンシュタットの反乱が発生した。この蜂起は赤軍に鎮圧され、多くの水兵がフィンランドへ逃れている。 臨時政府軍、ロシア共和国海軍、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国海軍、労農赤色海軍にかけての時代については、1918年にバルト海海軍(Морские силы Балтийского моря)、1919年に赤色バルト艦隊(Красный Балтийский флот)、1920年にバルト海海軍(Морские силы Балтийского моря)に改称している。 1935年1月11日には赤旗勲章受章バルト艦隊(Red-Banner Baltic Fleet)となった。
ソビエト連邦の成立後も、ソ連の置かれた地政学的地位やバルト海艦隊の役割は帝政時代とほぼ変りがなかったが、革命によりバルト三国が独立したことで、母港はいったんレニングラード(現サンクトペテルブルク)近郊のクロンシュタットに移った。
第二次世界大戦中、バルト海艦隊は冬戦争や独ソ戦でフィンランド軍やドイツ国防軍と戦った。独ソ戦緒戦ではタリンからの赤軍兵の撤退を助け、末期には海からソ連軍の攻勢を支援し、東プロイセンからのドイツ避難船「ヴィルヘルム ・ グストロフ」を潜水艦で撃沈した。
リガはソ連、ドイツ、ソ連と支配者を変え、戦後はバルト海艦隊の重要な拠点となった。また、大戦の結果、旧ドイツ領東プロイセンのケーニヒスベルク(ロシア名カリーニングラード)がソ連領となったため、バルト海艦隊の母港はここに移った。
1946年から1955年の間、バルト海艦隊は解体され、第4艦隊(南バルト海艦隊)と第8艦隊(北バルト海艦隊)に分割されていた。
冷戦期、西ヨーロッパに対するバルト海艦隊のプレゼンスの重要性は増したが、一方で大戦後のソビエト海軍の主力は次第に核ミサイルを搭載した原子力潜水艦に移行し、これらの主力は北極海(北方艦隊)および極東(太平洋艦隊)に配備されたため、バルト海艦隊の純粋な軍事的重要性は相対的に低下した。
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