バアリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 19:51 UTC 版)
北元時代以後
大元ウルスの崩壊後、バアリンがどのような変遷を辿ったかは不明であるが、16世紀に入ると内ハルハ5部の1つとしてバアリン部が史料上に登場するようになる。内ハルハ5部はダヤン・ハーンによって六男アルチュ・ボラトに分封され、以後バアリン部はアルチュ・ボラトの子孫によって統治されるようになった。
17世紀、清朝が台頭するとバアリン部はその傘下に入りバアリン右・左旗として知られた。バアリン右・左旗という行政区画は清朝の崩壊、満州国の成立、国共内戦という動乱を経たが、21世紀の中華人民共和国においても赤峰市バアリン右旗・左旗として存続している。
構成氏族
- メネン・バアリン氏族…メネン(Menen)とは、「数多くの」「豊かなる」の意。
- ニチュグト・バアリン氏族…ニチュグト(Ničugüd)とは、「裸の」「痩せた」「不毛な」の意。
- スカヌウト・バアリン氏族…スカヌウト(Sūqanūt)とは、「聖柳(タマリスク)」の意。
バアリン氏出身の有力者
- コルチ・ウスン・エブゲン…メネン・バアリン氏族。
- ココチュス…メネン・バアリン氏族。
- シルグエトゥ・エブゲン…ニチュグト・バアリン氏族。
- アラク…ニチュグト・バアリン氏族。シルグエトゥの長男。
- ナヤア…ニチュグト・バアリン氏族。シルグエトゥの次男。
- マンクル・トルカン
- バヤン…アラクの孫。
系図
バアリン氏族の祖バアリダイの系図。
参考文献
- 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 1巻』平凡社、1970年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 2巻』平凡社、1972年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 3巻』平凡社、1976年
- 村上正二『モンゴル帝国史研究』風間書房、1993年
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