ドミニク・モナミ ドミニク・モナミの概要

ドミニク・モナミ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/17 05:01 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
ドミニク・モナミ
Dominique Monami
Dominique Van Roost(1995年~2003年)

ドミニク・モナミ
基本情報
国籍  ベルギー
出身地 同・ヴェルヴィエ
居住地 同・メヘレン
生年月日 (1973-05-31) 1973年5月31日(45歳)
身長 170cm
体重 55kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1991年
引退年 2000年
ツアー通算 8勝
シングルス 4勝
ダブルス 4勝
生涯通算成績 421勝305敗
シングルス 295勝182敗
ダブルス 126勝123敗
生涯獲得賞金 $2,015,702
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1997・99)
全仏 3回戦(1997・98)
全英 4回戦(1998・99)
全米 3回戦(1991・98・99)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(1999・2000)
全仏 3回戦(1999)
全英 3回戦(1998-2000)
全米 ベスト4(2000)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 9位(1998年10月12日)
ダブルス 21位(2000年10月9日)
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
2000 シドニー ダブルス

来歴

9歳からテニスを始め、1991年6月に18歳でプロ入り。同年の全米オープン4大大会にデビューし、いきなりヤナ・ノボトナとの3回戦まで進出した。続く1992年全豪オープンでも4回戦進出を果たすなど、デビュー半年でシングルスランキング100位圏内に入る。しかし、その後は長期間の低迷期が続いた。

1995年に当時専属コーチのバート・ファン・ルースト(Bart Van Roost)と結婚し、姓がファン・ルースト(Van Roost)となる。

1997年全豪オープンで、当時世界ランキング43位だったファン・ルーストは、第2シードのアランチャ・サンチェス・ビカリオを3回戦で破る金星を挙げた。その勢いに乗って準々決勝まで勝ち進んだが、メアリー・ジョー・フェルナンデスとの試合を途中棄権している。

1998年は彼女のテニス人生を通じて、最も充実した年になる。10月第2週にドイツ・フィルダーシュタットで行われた「ポルシェ・テニス・グランプリ」準々決勝でマルチナ・ヒンギスを 6-3, 6-7, 6-4 で破り、当時18歳の最年少女王を世界ランキング1位の座から陥落させる勝利を挙げた。この後彼女は世界ランキングを自己最高の9位まで上げ、ベルギーの女子プロテニス選手として初の世界ランキングトップ10入りを果たした。

1999年全豪オープンで2年ぶり2度目の準々決勝に進出したが、アメリ・モレスモに 3-6, 6-7 で敗れている。同年夏に、ベルギーの後輩選手としてジュスティーヌ・エナンキム・クライシュテルスの2人が相次いでプロ入りするが、同年9月のルクセンブルクの大会で、彼女は決勝で16歳のクライシュテルスに 2-6, 2-6 で敗れてしまい、彼女のプロ初優勝の相手となった。2000年全豪オープン1回戦では勝利し、2人の対戦成績は1勝1敗となる。(エナンとは対戦なし)

2000年シドニー五輪にもベルギー代表選手として出場し、エルス・カレンズとのペアで女子ダブルスの銅メダルを獲得した。シングルスではベスト8に進出し、準々決勝でモニカ・セレシュに 0-6, 2-6 で敗れた。その後2大会に出場し、10月第3週の「ヨーロッパ室内選手権」(スイスチューリヒ)を最後に27歳で現役を引退した。

2001年に女児を出産したが、2003年に離婚し、名前を旧姓の「ドミニク・モナミ」に戻している。

引退後はメンタルコーチ・トレーナー・WTA大会ディレクターのほか、メディア上ではプレゼンターなどでも活動。2016年9月、フェドカップベルギー代表監督に就任。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 16回 (4勝12敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–3)
ティア III (0–4)
ティア IV & V (4–5)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1993年10月17日 モンペリエ カーペット (室内) エレーナ・リホフツェワ 3–6, 4–6
準優勝 2. 1995年10月30日 ケベック・シティー カーペット (室内) ブレンダ・シュルツ=マッカーシー 6–7(5), 2–6
優勝 1. 1996年5月16日 カーディフ クレー ローレンス・クルトワ 6–4, 6–2
優勝 2. 1997年1月12日 ホバート ハード マリアン・ワーデル=ウィットマイヤー 6–3, 6–3
優勝 3. 1997年9月28日 スラバヤ ハード レンカ・ネメチコバ 6–1, 6–3
準優勝 3. 1997年10月20日 ケベック・シティー カーペット (室内) ブレンダ・シュルツ=マッカーシー 4–6, 7–6(4), 5–7
準優勝 4. 1997年11月23日 パタヤ ハード ヘンリエッタ・ナギョワ 5–7, 7–6(6), 5–7
優勝 4. 1998年1月11日 オークランド ハード シルビア・ファリナ 4–6, 7–6, 7–5
準優勝 5. 1998年1月18日 ホバート ハード パティ・シュナイダー 3–6, 2–6
準優勝 6. 1998年2月15日 パリ カーペット (室内) マリー・ピエルス 3–6, 5–7
準優勝 7. 1998年2月23日 リンツ カーペット (室内) ヤナ・ノボトナ 1–6, 6–7(2)
準優勝 8. 1998年5月24日 マドリード クレー パティ・シュナイダー 6–3, 4–6, 0–6
準優勝 9. 1999年1月2日 オークランド ハード ジュリー・アラール=デキュジス 4–6, 1–6
準優勝 10. 1999年9月20日 ルクセンブルク カーペット (室内) キム・クライシュテルス 2–6, 2–6
準優勝 11. 2000年6月19日 イーストボーン ジュリー・アラール=デキュジス 6–7(4), 4–6
準優勝 12. 2000年7月23日 クノック=ヘイスト クレー アンナ・スマシュノワ 2–6, 5–7

ダブルス: 9回 (4勝5敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1993年5月3日 リエージュ クレー アン・デブリーズ ラドカ・バブコバ
マリア・ホセ・ガイダノ
4-6, 6-2, 6-7
優勝 1. 1993年7月18日 キッツビュール クレー 李芳 マヤ・ムリッチ
Pavlína Rajzlová
6–2, 6–1
準優勝 2. 1993年10月17日 モンペリエ カーペット (室内) ヤネッテ・フサロバ メレディス・マグラス
Claudia Porwik
6–3, 2–6, 6–7(3)
準優勝 3. 1996年10月27日 ルクセンブルク カーペット (室内) バーバラ・リットナー クリスティ・ボーグルト
ナタリー・トージア
6-2, 4–6, 2–6
優勝 2. 1997年1月5日 オークランド ハード ヤネッテ・フサロバ アレクサンドラ・オルスザ
エレナ・ワグナー
6–2, 6–7(5), 6–3
準優勝 4. 1997年1月6日 ホバート ハード バーバラ・リットナー 雉子牟田直子
宮城ナナ
3–6, 1-6
準優勝 5. 1997年11月23日 パタヤ ハード フロレンシア・ラバト クリスティン・クンシェ
コリーナ・モラリュー
3–6, 4–6
優勝 3. 1998年5月23日 マドリード クレー フロレンシア・ラバト レイチェル・マッキラン
ニコル・プラット
6–1, 6–3
優勝 4. 2000年8月1日 ロサンゼルス ハード エルス・カレンズ キンバリー・ポー
アン=ゲイル・シド
6–2, 7–5



「ドミニク・モナミ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドミニク・モナミ」の関連用語

ドミニク・モナミのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドミニク・モナミのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのドミニク・モナミ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS