トニー・ミッチェル トニー・ミッチェルの概要

トニー・ミッチェル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 15:09 UTC 版)

トニー・ミッチェル
Tony Mitchell
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ミシガン州デトロイト
生年月日 (1970-10-14) 1970年10月14日(53歳)
身長
体重
190 cm
105 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1989年 MLBドラフト34巡目
初出場 NPB / 2001年3月24日
最終出場 NPB / 2001年8月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

日本プロ野球では2001年パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の福岡ダイエーホークスに所属した。右投両打だが、ダイエー時代は右打に専念した。

1995年に同じダイエーに在籍していたケビン・ミッチェルは従兄弟にあたる。

来歴・人物

1989年MLBドラフト34巡目でピッツバーグ・パイレーツに入団したが、メジャー経験はなく、1997年からはアメリカ独立リーグリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレー[1]2000年にはダルース・スペリオール・デュークス打率.352、26本塁打、87打点の成績を挙げたことを評価され、2000年オフにペドロ・バルデスとともに福岡ダイエーホークスに入団。年俸は1,500万円。

ダイエーでプレーした2001年シーズンは当たれば本塁打に出来るパワーはあったため、本塁打はぼちぼち打っていたものの、同期入団で活躍していたバルデスとは対照的に開幕から不調が続き、徐々にスタメン及び出場機会は減り、8月7日を最後に1軍出場はなくなり、シーズン終了後に解雇された。最終的に打率.193、本塁打10、打点20と期待外れに終わった。

トニーの代理人はかつてダイエーにも在籍したブーマー・ウェルズであった。トニーとケビンが従兄弟同士ということを、球団側は本人の口から語られるまで知らなかったという。ケビンがメジャーリーグでも屈指の問題児で、ダイエー在籍時もシーズン途中の無断帰国など様々なトラブルを起こしただけに、トニーの素行にも注目が集まったが、トニーは球団と揉めるようなことはなかった。ただ気は荒く、2001年4月26日の対日本ハムファイターズ戦では、高橋憲幸からの死球に激怒して高橋を追いかけ、止めに入っていた田中幸雄金子誠井出竜也原田政彦らに暴行を働く乱闘騒ぎを起こして退場処分を受けた。マウンドへ向かう際にヘルメットを脱いで白いヘッドキャップ姿で暴れていた。また二軍戦でも乱闘騒ぎを起こしている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001 ダイエー 65 214 181 17 35 1 0 10 66 20 0 0 0 1 30 0 2 72 4 .193 .313 .365 .678
通算:1年 65 214 181 17 35 1 0 10 66 20 0 0 0 1 30 0 2 72 4 .193 .313 .365 .678

記録

NPB

背番号

  • 42 (2001年)



「トニー・ミッチェル」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トニー・ミッチェル」の関連用語

トニー・ミッチェルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トニー・ミッチェルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトニー・ミッチェル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS