ディック・フランシス 作家としての活躍

ディック・フランシス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 09:44 UTC 版)

作家としての活躍

1957年に騎手を引退し、ロンドン・サンデー・エクスプレス (London Sunday Express) 紙で競馬欄を担当する新聞記者となり、以後16年間勤めた。また、この年に自伝『女王陛下の騎手』(The Sport of Queens) を発表した[13]

1962年には初の長編小説『本命』 (Dead Cert) を発表し、以後2000年まで約1年に1冊のペースで長編小説を書き続けた。また、エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンで短編小説を発表した。

1973年から1974年の間、英国推理作家協会の会長を務めた。

日本

日本では早川書房から菊池光が一貫して翻訳を担当してきたが、菊池が2006年6月16日逝去した為、2006年12月刊行の『再起』においては、北野寿美枝の翻訳になっている。

日本語版の特徴として、ドキュメンタリーの『女王陛下の騎手』を除き、作品タイトルの邦題が全て漢字二文字で表記されていることが挙げられる(原語での題も1語ないし3語程度)。

フランシスの作品がこれ程までに日本で成功を収めたのは、作品そのものの素晴らしさによるものが大きいが、菊池の卓越した翻訳によるところも大きかった。菊池が逝去した際には、フランシス本人が「ミステリマガジン2006年11月号」誌において「才能に寄せた信頼」と題する追悼文を、わざわざ捧げているほどである。

1988年に日本の中央競馬のレース、ジャパンカップを観戦するために来日したことがある[14]。この時、競馬雑誌「優駿」の取材も受け、印象に残った日本馬としてタマモクロスオグリキャップ、あと1頭、名前が思い出せないが栗毛の馬[注 1]と語っていた[6]

『帰還』(Comeback) という作品で、日本や日本人についての記述が所々ある。

受賞歴


  1. ^ この「栗毛の馬」とはゴールドシチーのことである。聞き手の石川が「栗毛ですと、ゴールドシチー?」の問いに対して「そう言う名前だった気もするが…」と回答していた。
  1. ^ Dick Francis dies aged 89 The Daily Telegraph 2010-2-14
  2. ^ 『女王陛下の騎手』16頁、32-33頁
  3. ^ 『女王陛下の騎手』17-21頁、36-38頁
  4. ^ 『女王陛下の騎手』41-50頁
  5. ^ 『女王陛下の騎手』34-35頁
  6. ^ a b 優駿 1989年1月号 石川ワタル「馬家先生のパカパカ問答」
  7. ^ 『女王陛下の騎手』57-58頁、67-72頁
  8. ^ 『女王陛下の騎手』76-77頁
  9. ^ 『女王陛下の騎手』229-254頁
  10. ^ a b 『優駿』2014年10月号、69頁。 
  11. ^ 『ディック・フランシス読本』83-85頁
  12. ^ The life and works of Dick Francis - Biography
  13. ^ 『フランシス読本』75頁
  14. ^ 『フランシス読本』17頁
  15. ^ 第2話以降は原作なしのオリジナル作品。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ディック・フランシス」の関連用語

ディック・フランシスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ディック・フランシスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのディック・フランシス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS