ディック・フランシス
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作家としての活躍
1957年に騎手を引退し、ロンドン・サンデー・エクスプレス (London Sunday Express) 紙で競馬欄を担当する新聞記者となり、以後16年間勤めた。また、この年に自伝『女王陛下の騎手』(The Sport of Queens) を発表した[13]。
1962年には初の長編小説『本命』 (Dead Cert) を発表し、以後2000年まで約1年に1冊のペースで長編小説を書き続けた。また、エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンで短編小説を発表した。
1973年から1974年の間、英国推理作家協会の会長を務めた。
日本
日本では早川書房から菊池光が一貫して翻訳を担当してきたが、菊池が2006年6月16日逝去した為、2006年12月刊行の『再起』においては、北野寿美枝の翻訳になっている。
日本語版の特徴として、ドキュメンタリーの『女王陛下の騎手』を除き、作品タイトルの邦題が全て漢字二文字で表記されていることが挙げられる(原語での題も1語ないし3語程度)。
フランシスの作品がこれ程までに日本で成功を収めたのは、作品そのものの素晴らしさによるものが大きいが、菊池の卓越した翻訳によるところも大きかった。菊池が逝去した際には、フランシス本人が「ミステリマガジン2006年11月号」誌において「才能に寄せた信頼」と題する追悼文を、わざわざ捧げているほどである。
1988年に日本の中央競馬のレース、ジャパンカップを観戦するために来日したことがある[14]。この時、競馬雑誌「優駿」の取材も受け、印象に残った日本馬としてタマモクロス、オグリキャップ、あと1頭、名前が思い出せないが栗毛の馬[注 1]と語っていた[6]。
『帰還』(Comeback) という作品で、日本や日本人についての記述が所々ある。
受賞歴
- 1970年 アメリカ探偵作家クラブ賞(MWA賞)エドガー賞 長編賞 『罰金』(Forfeit)
- 1979年 英国推理作家協会賞(CWA賞) ゴールド・ダガー賞 『利腕』(Whip Hand)
- 1981年 MWA賞 エドガー賞長編賞『利腕』(Whip Hand)
- 1989年 CWA賞 ダイヤモンド・ダガー賞
- 1996年 MWA賞 エドガー賞長編賞 『敵手』(COME TO GRIEF)
- 1996年 MWA賞 巨匠賞
- ^ Dick Francis dies aged 89 The Daily Telegraph 2010-2-14
- ^ 『女王陛下の騎手』16頁、32-33頁
- ^ 『女王陛下の騎手』17-21頁、36-38頁
- ^ 『女王陛下の騎手』41-50頁
- ^ 『女王陛下の騎手』34-35頁
- ^ a b 優駿 1989年1月号 石川ワタル「馬家先生のパカパカ問答」
- ^ 『女王陛下の騎手』57-58頁、67-72頁
- ^ 『女王陛下の騎手』76-77頁
- ^ 『女王陛下の騎手』229-254頁
- ^ a b 『優駿』2014年10月号、69頁。
- ^ 『ディック・フランシス読本』83-85頁
- ^ The life and works of Dick Francis - Biography
- ^ 『フランシス読本』75頁
- ^ 『フランシス読本』17頁
- ^ 第2話以降は原作なしのオリジナル作品。
固有名詞の分類
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