ツール・ド・フランス1984
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/13 01:15 UTC 版)
第71回 ツール・ド・フランス 1984 | |
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全行程 | 23区間, 4021 km |
総合優勝 | ローラン・フィニョン 112時間3分40秒 |
2位 | ベルナール・イノー +10分32秒 |
3位 | グレッグ・レモン +11分46秒 |
4位 | ロバート・ミラー +14分42秒 |
5位 | ショーン・ケリー +16分35秒 |
ポイント賞 | フランク・ホスト 322ポイント |
2位 | ショーン・ケリー 318ポイント |
3位 | エリック・バンデレールデン 247ポイント |
山岳賞 | ロバート・ミラー 284ポイント |
2位 | ローラン・フィニョン 212ポイント |
3位 | アンヘル・アロヨ 140ポイント |
新人賞 | グレッグ・レモン 112時間15分26秒 |
チーム優勝 | ルノー |
みどころ
前年の当大会において、故障のため欠場することになったベルナール・イノーの代役として、ルノーのエースに抜擢されたローラン・フィニョンは見事優勝を果たし、今大会は名実ともにルノーのエースとして連覇を目指した。
対して、ルノーを離れたベルナール・イノーは新たにラ・ヴィ・クレールチームを結成し、1983年の世界自転車選手権を優勝したグレッグ・レモンらを加入させた上で、5度目の総合優勝を目指した。
元チームメイト同士であるフィニョンとイノーの頂上対決が予想された今大会。しかし思わぬ結果になった。
今大会の概要
前半からフィニョンのアシストであるヴァンサン・バルトーが健闘し、第14ステージ時点でマイヨ・ジョーヌをキープ。ここまでを終えてフィニョンは10分13秒差の3位、イノーは12分26秒差の5位であった。
しかしこの年は第14ステージから7区間連続で山岳ステージが続くことから、本当の勝負はまだ先だと考えられていた。第16ステージの個人タイムトライアルでフィニョンは区間優勝を果たし、バルトーとの差を6分29秒差にまで縮めた。そして続く第17ステージはツール・ド・フランスの名物であるラルプ・デュエズがゴール。
意気上がるフィニョンはこのステージでも快走を見せ、区間優勝こそ、ルイス・エレラに譲ったものの2位でこの区間をゴール。そしてついにここでマイヨ・ジョーヌを奪った。対してイノーは総合2位に浮上したとはいえ、フィニョンにこの区間だけで2分55秒の差をつけられ、フィニョンとの総合タイム差は4分22秒にまで広げられた。
さらにフィニョンは続く第18ステージにおいても圧倒的な強さを見せ、堂々と区間優勝。対してイノーはこの区間でも2分58秒の差をつけられた。総合タイム差は8分39秒差にまで広がり、勝負の趨勢はほぼここでついた形となった。
フィニョンは第22ステージの個人タイムトライアルでも区間優勝を果たし、終わってみればイノーに何と10分32秒の差をつける完勝。前年の総合優勝がフロックでないことを証明してみせた。
ちなみに総合3位のレモンはこの大会の新人賞に輝いた。
エピソード
フィニョン、イノー、レモンはいずれもシリル・ギマールの下で戦った同志であったが、イノーがレモンらを引き連れてラ・ヴィ・クレールチームを結成し、ギマールと袂を分かったことから、「ギマール一派」の「代理戦争」の様相も呈し、戦前からこの話題に終始していた感もあった大会であった。
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- 1 ツール・ド・フランス1984とは
- 2 ツール・ド・フランス1984の概要
- 3 総合成績
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