タイムカプセル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 12:03 UTC 版)
タイム・カプセル EXPO'70
1970年、千里丘陵を舞台に行われた日本万国博覧会において、松下電器産業株式会社などが運営する「松下館」で、原始時代から1970年当時の文化と人類の叡智などを後世に伝えることを目的として、毎日新聞大阪本社との共催で、同じ内容の「タイム・カプセル EXPO'70」を2台設置した。このカプセルには延べにして2,098点が収納されており、万博翌年の1971年に大阪城公園本丸跡・地下15メートルに埋設した[7]。
カプセルのうち、1号機は最下部に5000年埋設し、6970年に開封する予定。2号機はその上に、まず2000年に第1回の開封を行って埋設し、以後100年ごとに開封して保存状態を確認し、6970年の1号機開封までに都合50回にわたってこれを繰り返す。本体は坪型の直径1メートル、50万立方センチメートル、重量1.74トン(収納品を入れると2.12トン)で、自然科学分野742点、社会分野686点、芸術分野592点、その他78点を収納。この中には当時の新聞・雑誌・写真などの印刷物、レコード・カセットテープ、計器類などを収納しており、収納基準として
- 市場で用意できる平均的なもの
- 特殊なもの以外は購入
- 同種のものは市場に最も多く出ている銘柄
- 同じものを4つ収集
を条件として選定した[8]。
さまざまなタイムカプセル
以後、地中に埋められたタイムカプセルは枚挙に暇がないが、宇宙に放たれた(広い意味での)「タイムカプセル」もある。パイオニア10号・11号に取り付けられた金属板、およびボイジャー計画にともなう金のレコードは遠い未来に地球外知的生命体に発見させ、内容が解読されることを期待して設置された。
打ち上げが予定されているKEO衛星は未来人に宛てた人々のメッセージが集められたDVDおよびDVDプレーヤーの組み立て方説明書を収容したもので、フランスの芸術家・科学者であるジャン=マルク・フィリップが発案し、ユネスコ・ハチソン・ワンポア・欧州宇宙機関により後援されており、50,000年後に地球に戻る予定だが技術面などの問題から度々延期されながら未だ打ち上げされず、現時点では中止などの発表がない。
現代では、企業が自社ビルを建築する際に、礎石として箱型の「定礎箱」を埋め込み、建物の図面・定礎式当日の新聞・出資者名簿・従業員名簿などの記念品を収めることもある[9]。
星新一のSF小説の『おみやげ』では、人類が登場する以前の時代に地球に降り立った宇宙人が、後に誕生する人類の繁栄を助けるのに必要な様々な知識のつまった物を銀色の卵に入れて地球を去った。その後、人類が誕生して文明が起こることにより、今日にいたる繁栄を築いたが、卵自体は存在が知られないまま核実験が行われたことにより全てが焼失した。
学校でタイムカプセルを埋める慣習について
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F0%2F0c%2FTower_of_Hope%252C_Time_capsule_of_Manabe_Elementary_School.jpg%2F220px-Tower_of_Hope%252C_Time_capsule_of_Manabe_Elementary_School.jpg)
日本では記念事があるたびにタイムカプセルを埋める慣習が既に根付いている(人為的なタイムカプセル)。特にその慣習の影響を色濃く映しているのは学校など教育機関である。しかし、これらは自発的に起こったものではなく、学校でタイムカプセルを埋める慣習が出てきたのは前記した大阪万博のタイム・カプセルを日本中の学校や自治体が模倣し始めたことで、この慣習は始まったのである。そのため「タイム・カプセル EXPO'70」が大阪城前広場の地下に埋設されたことを受けて日本人に「タイムカプセル=地中埋設」のイメージが広まり、タイムカプセルを地中に埋めるのが一般的になってきたのである[10]。
しかし、ただ模倣するのではなく、時代背景(少子高齢化など)や用途に合わせ、その慣習は埋設の方法、年数の設定、開封のタイミングなど形式的な側面は時代ごとに変化してきた。この時代ごとに変化するという特性が、タイムカプセルを埋める慣習が現在まで残ってきた一つの要因である[10]。
また、学校など教育機関に限定されるが、学校でタイムカプセルを埋める慣習は惰性によって続いているものであると考えられる。それは下記の問題点を受け、埋設されたものの、開封されないタイムカプセルが目立ってきているためである[10]。
- ^ このカプセルは2つあり、一つは2000年に点検のため開封された。内容の確認後再度埋められ、100年ごと(世紀末の年)に開封される予定となっている(次回は2100年の開封を予定している)。
- ^ a b c William Jarvis (2002)
- ^ 経塚 - コトバンク
- ^ 万博とテクノロジー 久島伸昭、日本計算工学会誌「計算工学」7号、2002年
- ^ “Princeton University Library - G. Edward Pendray Papers, 1829-1981 (bulk 1923-1971)”. 2010年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月28日閲覧。
- ^ New York Times, August 19, 1938, page 21
- ^ 趣旨(タイム・カプセルEXPO'70概要)
- ^ 主要事項一覧
- ^ 定礎箱の中身と定礎式
- ^ a b c 柳田一成「なぜ学校でタイムカプセルを埋めるのか〜タイムカプセルから見る日本現代史〜」(九州産業大学商学部観光産業学科 平山ゼミナール 平成28年度卒業論文)
- ^ A 50-Year-Old Time Capsule Sees Daylight, but Will It Start? ニューヨーク・タイムズ
- ^ 現実に光磁気ディスクが、1988年に登場したものの、ドライブの方が2000年代で生産を打ち切られた
- ^ なおこの点については企業などが行う大規模なタイムカプセルなどでは再生機器の製造方法や規格自体を記載した手順書を同梱し厳重な封印を施すことによりある程度の対応/配慮が見られる
- ^ “重機投入もカプセル発掘また不発”. 福井新聞 (2019年7月28日). 2019年7月31日閲覧。
- ^ “追憶のタイムカプセル、うっかり廃棄 開封心待ち400人”. 京都新聞 (2019年7月5日). 2019年7月31日閲覧。
タイムカプセルと同じ種類の言葉
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