タイチ (歌手) タイチ (歌手)の概要

タイチ (歌手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/20 05:32 UTC 版)

タイチ
Tajči
タイチ、シカゴ、聖ヒエロニムス聖堂(St. Jerome's Church)でのクリスマス・コンサートにて
基本情報
出生名 タティアナ・マテヤシュ(Tatjana Matejaš
別名 タイチ・キャメロン、タティアナ・キャメロン
生誕 1970年7月1日(46歳)、ザグレブ
出身地  ユーゴスラビアクロアチア社会主義共和国ザグレブ(現・ クロアチア
学歴 クロアチア音楽学院
職業 歌手
活動期間 1990年 -
共同作業者 マシュー・キャメロン
公式サイト idobelieve.com

来歴

タティアナ・マテヤシュとして1970年7月1日にクロアチアのザグレブに生まれ、クロアチア音楽学院にてクラシック・ピアノの教育を受けた[1]。タイチは1990年、ユーゴヴィジヤにクロアチアから参加して優勝し、19歳にしてユーゴスラビア代表として同年のユーロビジョン・ソング・コンテストに参加した。これによって一躍有名になったタイチは、多くの雑誌に取り上げられ、また大勢の前でコンサートを行った。タイチの作品はプラチナムやゴールドの売り上げが記録された[1]1991年にユーゴスラビア崩壊、クロアチア紛争が起こると、タイチは宗教心を深め、また紛争の前線を訪れ、平和を願って歌い、負傷した兵士らを癒した[1]。しかしその後ほどなくヨーロッパでの歌手としてのキャリアを断ち切り、アメリカ合衆国へ移住した[1]

タイチはロサンゼルスに住んでいるとき、後に夫となるピアニスト・作曲家のマシュー・キャメロン(Matthew Cameron)と出会う[1]。マシュー・キャメロンとは2000年に結婚し、2人は後にシンシナティに移住した。タイチはユーゴスラビア時代のポップ・ミュージックから一転して教会音楽をその活動の中心とし、各地のローマ・カトリックの教会で歌って回った。タイチに寄せられた教会からの求めは1000近くにのぼり、教会での活動のためアメリカ合衆国のみならずラテン・アメリカフィリピンヨーロッパアフリカなどを訪れている[1]

ヨーロッパでの活動も再開し、ボスニア・ヘルツェゴビナ2006年夏に行われたコンサートでは3万5千人が集まった[1]

アルバム

  • Hajde da ludujemo(1990年)
  • Bube u glavi(1991年)
  • Struggles & Graces(1997年)
  • Now and Forever(2000年)
  • Emmanuel - The Story of Christmas(2002年)
  • Let It Be - Mary's Story(2003年)
  • I Thirst(2004年)
  • Zlatna kolekcija(2004年)
  • A Chance to Dream(2006年)
  • Need A Break(2008年)



  1. ^ a b c d e f g Tajci's Story”. 2009年5月閲覧。


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