ジョン・ヴェラスケス ジョン・ヴェラスケスの概要

ジョン・ヴェラスケス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/21 15:15 UTC 版)

ジョン・ヴェラスケス
基本情報
国籍 プエルトリコ
生年月日 (1971-11-24) 1971年11月24日(51歳)
騎手情報
初免許年 1990年
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来歴

1988年6月、プエルトリコのジョッキースクールに入学。1990年に騎手としてのキャリアをスタートさせると、同年3月にはアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手の勧めでプエルトリコを離れ、ニューヨーク州を拠点にアメリカ競馬で騎乗を始めた。

1991年6月16日にプライヴェートマン(Private Man)でオハイオダービーを勝ち、重賞初制覇[1]1993年8月29日アワド(Awad)でセクレタリアトステークスを勝ち、G1初制覇を果たす。

1995年ジャパンカップに出走するタークパサー(Turk Passer)騎乗のため来日するが、同馬は出走取消となる。ジャパンカップ前日の11月25日、インターナショナルジョッキーズ1で日本初騎乗を果たすが、8着に終わった。

1996年ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップに出場。3月2日のオープニングカップをアジヤフウジンで勝ち、日本での初勝利を挙げる。翌3月3日のセレブレイションカップでも2着に入るなどの活躍を見せ、計52点を獲得するが、54点を獲得した吉田稔に惜しくも敗れた[2]

1998年11月7日にダホス(Da Hoss)でブリーダーズカップ・マイルを勝ち、ブリーダーズカップ初制覇。

2004年7月29日に通算3000勝を達成[3]。同年には初のリーディングジョッキーとなり、エクリプス賞最優秀騎手にも選ばれた。

2005年3月26日ロージズインメイ(Roses in May)でドバイワールドカップを優勝。初めて北米以外のG1を制した。この年もまたリーディングジョッキーとなり、エクリプス賞最優秀騎手に選ばれている。

2007年6月9日に牝馬のラグズトゥリッチズ(Rags to Riches)でベルモントステークスを勝ち、アメリカクラシック三冠競走初制覇。

2008年9月28日に通算4000勝を達成[4]

2009年ジョージ・ウルフ記念騎手賞を受賞した。

2011年5月7日ケンタッキーダービーで騎乗予定だった前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬・アンクルモー(Uncle Mo)が、内臓の疾患により出走を取り消した。そこで急遽、アニマルキングダム(Animal Kingdom)に騎乗することとなる。同馬に騎乗予定だったロビー・アルバラードが3日前に負傷し、騎手が不在となっていたためである。そしてそのアニマルキングダムに騎乗して、ケンタッキーダービー初制覇を果たした[5]。また同年12月、第25回ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場。シリーズ初出場を果たしたが、4位に終わった。

2012年4月23日アメリカ競馬名誉の殿堂博物館の顕彰者に選出された[6]

2013年、11月2日にブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズで騎乗していたシークレットコンパス(Secret Compass)がレース中に故障、転倒し落馬。脾臓摘出の重傷を負った[7]

人物

既婚者で息子が1人、娘が1人いる。妻のレオナはレオ・オブライエン調教師の娘。




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