サンタローザ (カリフォルニア州) サンタローザ (カリフォルニア州)の概要

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サンタローザ (カリフォルニア州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 14:07 UTC 版)

サンタローザ
City of Santa Rosa

サンタローザ中心街の昔の役所広場
位置

カリフォルニア州におけるソノマ郡(左図)およびサンタローザの位置
座標 : 北緯38度26分55秒 西経122度42分17秒 / 北緯38.44861度 西経122.70472度 / 38.44861; -122.70472
歴史
1868年3月26日
行政
アメリカ合衆国
  カリフォルニア州
  ソノマ郡
サンタローザ
City of Santa Rosa
市長 スーザン・ゴーリン
地理
面積  
  域 103.347 km2
    陸上   102.73 km2
    水面   0.61 km2
      水面面積比率     0.62%
標高 50 m
人口
人口 (2020年現在)
  域 178,127人
  備考 [1]
その他
等時帯 太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間 太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : City of Santa Rosa

歴史

ペタルーマ・サンタローザ鉄道の元の駅舎
サンタローザ中心街の鉄道広場地区にある歴史的建物

設立と発展

サンタローザとなった地域におけるヨーロッパ人の初めての恒久的な入植地は、法律的にはマリアーノ・グアダルーペ・ヴァレホのものとされるカリーリョ家の家産であり、ヴァレホはソノマ英語版のプエブロとペタルーマ地域に入植していた。メキシコの統治下にあった1830年代、マリア・ロペス・デ・カリーリョの家族が、後にサンタローザ中心街となった場所の直ぐ東、ランチョ・カベサ・デ・サンタローザ特許土地に日干し煉瓦の家を建てた。しかし、カリーリョ家がその家を建てる前の1820年代に、近くのソノマなど南の開拓地から来たスペイン人とメキシコ人の開拓者が、この地域で家畜を育て、現在のサンタローザ・アベニューとソノマ・アベニューの交差点近く、サンタローザ・クリーク支流とマタンサス・クリークで家畜の解体を行っていたとされている。家畜の解体場所として使われたのでマタンサス・クリークと命名されたと推定されており、この水流はラ・マタンサと呼ばれるようになった。

1850年代には現在サンタローザ中心街となっている場所にウェルズ・ファーゴの交易所と雑貨屋が建設された。1850年代半ば、マリア・カリーリョの息子であるフリオ・カリーリョなど土地の有力者数人が、サンタローザの格子状道路配置を決め、その中心に現在は昔の役所広場と呼ばれる公共の広場を置いた。この中心街の格子配置は現在でも大半が残っている。

1867年、ソノマ郡がサンタローザを法人化都市として承認し、翌1868年、カリフォルニア州が公式に法人化を確認してソノマ郡では3番目の都市になった。既にあった都市は1858年法人化のペタルーマ市、および1867年法人化のヒールスバーグ市だった。

アメリカ合衆国国勢調査局の記録に拠れば、1850年にカリフォルニア州が州に昇格した後、サンタローザは当初の1850年代や1860年代初期にはペタルーマ市の後塵を拝していたが、着実に成長を続けていた。1870年国勢調査で州内で8番目に人口の多い都市となり、最大級に人口の多い郡の郡庁所在地となった。その後の成長と発展は決して急速ではなかったが、着実なものだった。

その結果、他の人口の多い地域が衰退したり沈滞している中でも成長を続けたが、1900年までにはサンフランシスコ・ベイエリア南カリフォルニアの新しい多くの人口中心に追いつかれあるいは追い越されていった。1905年、「列車の戦い」を報じる「プレス・デモクラット」の新聞記事に拠れば、サンタローザの人口はやっと1万人を超えたところだった。

1906年4月18日、サンフランシスコ地震が起こりサンタローザ中心街を実質的に破壊したが、人口そのものには大きな影響が無かった。しかしその後の期間もその付近の大半と同様に人口成長速度は大変遅かった。

1943年に有名な監督アルフレッド・ヒッチコックがスリラー映画『Shadow of a Doubt』をサンタローザで撮影した。この映画はビデオやDVDでも発売されており、1940年代のサンタローザを垣間見ることができる。映画に映っている中心街の建物の多くは、1969年9月の強い地震の後に建て替えられたのでもはや存在しない。しかし、でこぼこ石を使ったノースウェスタン・パシフィック鉄道駅舎や1910年に建設され金を被せた時計塔のあるエンパイア・ビルのように現在も残っているものがある。

第二次世界大戦後

1910年に建設されたエンパイア・ビルはサンタローザのランドマークである。アルフレッド・ヒッチコック監督の映画スリラー映画『Shadow of a Doubt』にも登場した。

1945年に第二次世界大戦が終わり、その後の25年間、サンタローザは少なからぬ成長を遂げた。1950年と1970年の間で人口は67%増え、20年間以上にわたって平均して年1,000人が増えたことになった。人口増の要因は移民が入ってきたこともあるが、周辺地域を併合したこともあった。

1958年、アメリカ合衆国文民防衛動員局が8か所ある地域本部の一つにサンタローザを指定した。その第7地域の管轄範囲にはアメリカ領サモアアリゾナ州、カリフォルニア州、グアムハワイ州ネバダ州およびユタ州が含まれた。サンタローザは1972年まで文民防衛活動(緊急計画局および緊急準備局の管轄下)の主要中心であり続けたが、この年にアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁が創設されて文民防衛の69年間の歴史を終わらせた[2]

1991年、市政委員会がサンタローザでは初めての総合計画を採択した。この時の人口は約113,000人だった。1970年からの21年間で毎年約3,000人が増えており、その前の20年間と比べると平均して3倍の伸び率だった。

この総合計画は「サンタローザ2010」と呼ばれ、2010年の人口を175,000人とすることが盛られた。市政委員会は将来に併合を計画するところまで市の境界を拡げ、サンタローザの「究極の」境界であることを宣言した。都市スプロール現象を生むとして批判された急速な成長はお決まりのインフィル開発(既存部分の開発)になっていった。

5年を経過した1996年に市政委員会は総合計画の見直しを行い計画期間を10年延長し、計画名も「ビジョン2020」に変更し(その後「サンタローザ2020」さらには「サンタローザ2030」に変更された)、さらに土地面積や人口の数値を追加した。現在の市の計画は2020年時点で人口195,000人となっている。

2017年10月、カリフォルニア州各地で発生した山林火災は、サンタローザ一帯も襲い、カリフォルニアワインの醸造所を始め多くの被害を出した[3]

歴史に関する史料

地元の歴史家で「プレス・デモクラット」紙のコラムニスト、ゲイ・ルバロンは、「サンタローザ:19世紀の町」と「サンタローザ:20世紀の町」の2冊の歴史書を著した。ローナート公園にあるソノマ州立大学図書館はゲイ・ルバロンの蔵書である700冊の研究ノートのファイル、および10,000冊ほどの文献を含む一次史料を保管している。

地理

サンタローザは北緯38度26分55秒 西経122度42分17秒 / 北緯38.44861度 西経122.70472度 / 38.44861; -122.70472に位置する[4]アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は40.37平方マイル (104.6 km2)であり、このうち陸地は40.13平方マイル (103.9 km2)、水域は0.25平方マイル (0.61 km2)で水域率は0.62%である。

サンタローザ市は、ソノマ、ヒールスバーグおよびセバストーポル英語版などの都市を含むノースベイ地域の一部である。アメリカ国道101号線回廊に沿っており、ゴールデンゲート橋を通ってサンフランシスコ市からは北に約55マイル (90 km) にある。

サンタローザ市はサンタローザ平原にあり、その東端はムーン・バレーとソノマ・バレー英語版と呼ばれるソノマ・クリーク英語版流域まで伸び、西端はサンタローザ湖英語版の集水域にある。

サンタローザ市はフッド山英語版に発しサンタローザ湖に注ぐサンタローザ・クリーク英語版の流域にある。市内にあるサンタローザ・クリークの支流としてはブラッシュ・クリーク英語版マタンザス・クリーク英語版およびパイナー・クリーク英語版がある。その他市内にある水域としてはファウンテングローブ湖英語版ラルファイン湖英語版およびサンタローザ・クリーク貯水池英語版がある。

著名な目印としては東のフッド山がある。南東にはテイラー山英語版ソノマ山英語版があり、市域の大半から容易に見ることができる。

気候

サンタローザは冷涼で湿気の多い冬と、多くは乾燥した夏がある。夏は、夕方と朝に太平洋からの霧と低い雲が動いてくることが多い。通常は朝の遅い時間と午後は晴れて暖かく日照のある天候となり、午後の遅くに曇ってくるが、終日曇っていることもある。平均年間降水量は30.45インチ (773 mm) であり、降水日数は74日である。最も降水量の多かったのは1983年で63.07インチ (1,602 mm)、最も少なかったのは1976年で11.38インチ (289 mm) だった。月間降水量が最も多かったのは1998年2月の19.42インチ (493 mm) であり、24時間雨量では1981年12月19日の5.23インチ (133 mm) だった。低地では測定可能な降雪は希だが、近傍の山には時として軽い降雪がある。

気温が90°F (32℃) を超える日は平均して28.9日あり、32°F (0℃) を下回る日は平均して30.2日ある。過去最高気温は1971年9月13日の110°F (44℃) であり、過去最低気温は1932年12月13日の15°F (−9℃) である[5]


サンタローザの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 14
(58)
17
(63)
18
(65)
21
(70)
24
(75)
27
(80)
29
(84)
28
(83)
28
(83)
25
(77)
18
(65)
14
(57)
22
(72)
平均最低気温 °C°F 3
(37)
4
(40)
5
(41)
6
(42)
8
(46)
11
(51)
11
(52)
11
(51)
8
(47)
6
(42)
3
(37)
2
(36)
5
(41)
降水量 mm (inch) 157
(6.2)
117.9
(4.64)
110.2
(4.34)
46
(1.8)
7.9
(.31)
8
(.3)
0
(.0)
0
(.0)
15
(.6)
47.2
(1.86)
122
(4.8)
126
(4.96)
756.4
(29.78)
出典:[6] 2007-11-30

地震

サンタローザはヘイワード・ロジャーズ・クリーク断層英語版ヒールスバーグ・ロジャーズ・クリーク英語版区分の上にある。アメリカ地質調査所は2030年までにこの地域でマグニチュード6.7以上の地震が起こる確率を20%と見積もっている。

2005年4月14日、地質調査所は地震の間の地面の揺れを測定する新しい手段の結果を示す地図を発行した。この地図ではサンタローザから現在のセバストーポルの間で1906年のサンフランシスコ地震が最も巨大であり、他の都市よりもサンタローザで最も被害が大きくなることを示している[7]

1969年10月1日にマグニチュード5.6と5.7の2度の地震がサンタローザを襲い、約100軒の建物に損傷を与えた。1906年以降では最大の地震だった。震源はサンタローザの北約2マイル (3 km) だった。




  1. ^ CENSUS QUICK FACTS”. 2023年8月8日閲覧。
  2. ^ Records of the office of Emergency Preparedness”. 2008年8月30日閲覧。
  3. ^ 沸騰するワイン流れる、火災被害の醸造所・米加州 CNN(2017年10月14日)2017年10月19日閲覧
  4. ^ US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990, United States Census Bureau, (2011-02-12), http://www.census.gov/geo/www/gazetteer/gazette.html 2011年4月23日閲覧。 
  5. ^ Central California
  6. ^ Forrey, Rip. “Climate data for various locations in Sonoma, Napa, Mendocino, Lake and Marin counties, California” (PDF). University of California Cooperative Extension Sonoma County. 2007年11月30日閲覧。
  7. ^ USGS.gov”. USGS Release: USGS Produces New Map Showing Detailed Ground Shaking in Great San Francisco (Quake). 2006年2月24日閲覧。
  8. ^ Laguna de Santa Rosa Wetland Complex | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2010年4月16日). 2023年4月13日閲覧。
  9. ^ Burbankgardens.org
  10. ^ SRJCneighbors.org
  11. ^ Northjcneigbors.wordpress.com
  12. ^ Oakmontvillage.com
  13. ^ Strosedistrict.org
  14. ^ SRwestend.com
  15. ^ Historical Census Populations of Places, Towns, and Cities in California, 1850-2000”. California Dept. of Finance. 2009年7月17日閲覧。
  16. ^ State & County QuickFacts”. US Census Bureau. 2011年12月24日閲覧。
  17. ^ Will Gerrymandered Districts Stem the Wave of Voter Unrest?”. Campaign Legal Center Blog. 2008年2月10日閲覧。
  18. ^ Ci.santa-rosa.ca.us
  19. ^ Forbes.com
  20. ^ Ci.santa-rosa.ca.us
  21. ^ Visitsantarosa.com
  22. ^ DramaBiz magazine - Search Page
  23. ^ Joe Rodota Trail”. 2009年3月23日閲覧。
  24. ^ Santa Rosa Press Democrat, 3/30/07: Fatal police shootings rekindle review debate/Recent cases raise decade-old concerns over agencies' abilities to investigate each other
  25. ^ Sonomalibrary.org
  26. ^ Sonomacountylawlibrary.org
  27. ^ Dauenhauer Manufacturing website”. 2008年7月16日閲覧。
  28. ^ 74 Years Later, an Honor for California's First Japanese American Winemaker”. 2008年1月3日閲覧。
  29. ^ PinotFile” (PDF). 2008年1月3日閲覧。
  30. ^ City Council Meeting Minutes, Agenda Item #11.1” (2007年5月1日). 2008年10月26日閲覧。


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