コントラ戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/20 14:23 UTC 版)
内戦の終結後の状況
10年近く続いた内戦はニカラグアに深い傷跡を残した。それは現在も経済の崩壊、治安の極端な悪化として顕在化している。膨大な犠牲と引き換えにニカラグアが手に入れたのは、民主主義だけだった。
1990年2月、国連の監視下で大統領選挙が行われ、国民野党連合(UNO)ビオレータ・チャモロが当選し、1990年4月に大統領に就任した。チャモロ政権は内戦で疲弊したインフラ・経済の再建、ハイパーインフレの終結に取り組み実現した。チャモロ政権の樹立により米国はようやくニカラグアに対する経済制裁とコントラへの支援を解消した。
1996年11月、大統領選挙で立憲自由党(PLC)のアルノルド・アレマンが当選し、1997年1月に大統領に就任した。アレマン政権は経済の規制緩和と自由競争を推進により経済発展を目ざすとともに、サンディニスタ民族解放戦線との政策協定により憲法と選挙法を改正した。
2001年11月、大統領選挙で立憲自由党(PLC)のエンリケ・ボラーニョスが当選し、2002年1月に大統領に就任した。ボラーニョス政権は汚職の摘発に取り組み、アレマン前大統領を逮捕し、アレマン前大統領は懲役20年の判決を受けた。2006年4月、ニカラグアはアメリカ・中米・ドミニカ共和国自由貿易協定(DR-CAFTA)に加盟した。
1990年から2006年の間、サンディニスタ民族解放戦線は3回の大統領選挙(出馬したのは三回ともダニエル・オルテガだった)では敗北したが、政治勢力として滅びたわけではなく、軍のトップはオルテガ兄弟によって維持され、ニカラグアの政治勢力・議会の野党として、政権の政策に対する建設的・創造的な対案の提案や、個別の政策分野では政府に協力することにより、ニカラグアの復興に努力し、野党ではあったが国民からの広範な支持を失ったわけではなく、国民からの支持もニカラグアの政治に対する影響力も維持していた。
2006年11月、大統領選挙でサンディニスタ民族解放戦線のダニエル・オルテガが当選し、2007年1月に就任した。オルテガ政権は1990年以後の政権の経済・外交政策を変更し、貧困の解消と貧富の著しい格差の解消を目ざし、ベネズエラ政府とチャベス大統領が提唱する米州ボリーバル代替統合構想(ALBA)への参加を表明した。オルテガは、ニカラグアからはもはや富裕層が逃げていくことはなく逃げていくのは貧困だけだと述べ、貧困撲滅に対する意気込みを語っている。
- 1 コントラ戦争とは
- 2 コントラ戦争の概要
- 3 米国の外交
- 4 内戦の終結後の状況
- 5 脚注
- 6 外部リンク
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