クロアチア防衛評議会 戦争犯罪

クロアチア防衛評議会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/30 13:46 UTC 版)

戦争犯罪

ボスニア・ヘルツェゴビナ軍事の変遷
-1992年 ボスニア・
ヘルツェゴビナ
領土防衛軍
(TORBiH)
1992年
-1995年
クロアチア
防衛評議会
(HVO)
ボスニア・
ヘルツェゴビナ
共和国軍
(ARBiH)
スルプスカ
共和国軍
(VRS)
1995年
-2006年
ボスニア・ヘ
連邦軍
ルツェゴビナ
(VFBiH)
2006年- ボスニア・ヘルツェゴビナ軍(OSBiH)

クロアチア防衛評議会の政治的・軍事的指導者の多くが戦争犯罪の嫌疑によって訴追を受けている。ヤドランコ・プルリッチ(Jadranko Prlić)やブルノ・ストイッチ(Bruno Stojić)、ミリヴォイ・ペトコヴィッチ(Milivoj Petković)、ヴァレンティン・チョリッチ(Valentin Ćorić)、ベリスラヴ・プシッチ(Berislav Pušić)が、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)にて裁判を受けている。これらは、人道に対する罪ジュネーヴ諸条約への重大な違反や、戦時国際法への違反といった「戦争犯罪」によって訴追を受けている。

すでに判決が出ている者は、次の通りである。ティホミル・ブラシュキッチ(Tihomir Blaškić、有罪)、ムラデン・ナレティリッチ(Mladen Naletilić、有罪)、ヴィンコ・マルティノヴィッチ(Vinko Martinović、有罪)、ヴラトコ・クプレシッチ(Vlatko Kuprešić、無罪)、ゾラン・コプレシッチ(Zoran Kuprešić、無罪)、ミリャン・クプレシッチ(Mirjan Kuprešić、無罪)、ドラゴ・ヨシポヴィッチ(Drago Josipović、有罪)、ドラガン・パピッチ(Dragan Papić、有罪)、ヴィラディミル・サンティッチ(Vladimir Santić、有罪)、ズラトコ・アレスコヴスキ(Zlatko Aleskovski、懲役7年、早期釈放が認められる)、ミロスラヴ・ヴラロ・ツィツコ(Miroslav Bralo Cicko、有罪)、アント・フルンジヤ(Anto Furundžija、懲役10年、早期釈放が認められる)、ダリオ・コルディッチ(Dario Kordić、有罪)、マリコ・チェルケズ(Mario Čerkez、有罪)、ゾラン・マリニッチ(Zoran Marinić、起訴取り下げ)、スロボダン・プラリャクSlobodan Praljak、懲役20年、判決直後に法廷内で服毒自殺)。これらは全てICTYにて結審している。




  1. ^ ITCY”. 国際連合 (2002年9月4日). 2008年12月15日閲覧。
  2. ^ a b c d 佐原徹哉 (2008年3月20日). ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化. 日本、東京: 有志舎. ISBN: 978-4-903426-12-9. 
  3. ^ ICTY: Naletilić and Martinović verdict - A. Historical background”. 2008年12月閲覧。


「クロアチア防衛評議会」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クロアチア防衛評議会」の関連用語

クロアチア防衛評議会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クロアチア防衛評議会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクロアチア防衛評議会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS