クリスティーナ (スウェーデン女王) 生涯

クリスティーナ (スウェーデン女王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 17:50 UTC 版)

生涯

誕生時は毛深く、男児と誤認されて一時「王子誕生」の誤報が流れる。しかし、女児であったことが判明し、王子を熱望していた母マリアは落胆したが、父グスタフ・アドルフからは「我々皆を騙したのだから賢い子になるだろう」と歓ばれる。

父から早々に後継者に指名され、古典や神学に加え帝王学を学ぶほか、騎馬・剣術・狩猟をさせるなど、まるで王子のように教育されて育つ。

クリスティーナ自身も手芸や人形遊びのような一般的な女子の遊びを好まず、乗馬や射撃を得意としていた。

父王の死後、6歳で即位。即位より男装して過ごす。

初め宰相であるアクセル・オクセンシェルナ伯爵の補佐を受けたが、三十年戦争およびトルステンソン戦争終結の1644年頃から親政を行った。彼女の治世下でもスウェーデン軍はフランス王国と提携して中央ヨーロッパに進出し、ヴェストファーレン条約ではポメラニアのほか多数の都市と賠償金を得る(スウェーデンは当初、戦勝国として膨大な要求を敗戦国に突き付けたが、クリスティーナはそれを拒否して大幅な譲歩をして交戦国と妥協した。クリスティーナの寛大な譲歩は、臆病な平和とスウェーデン国内から非難され、オクセンシェルナなど守旧派の反発を招いたが、女王が意志を貫き通したこともあり、講和が成立した)。神聖ローマ皇帝に迫って新教徒の権益を拡げさせることにも成功している。オリバー・クロムウェル護国卿をしていたイングランド共和国と同盟を結び、スウェーデンのヨーロッパにおける大国の地位を安定させた。

父の聡明さを受継いでいたが、クリスティーナは財政に疎く、あるいは無関心であった。後にスウェーデンは国家財政の財政難を招いてしまうが、この財政難の元凶の一端を担いでしまったのが彼女であった。

しかしクリスティーナは無能ではなく、高い政治能力を有していた。平和を願い、カトリックとプロテスタントの融和を説き、キリスト教の安寧と言う高貴な理想を抱いた一己の自由主義者であった。また彼女なりの王権成立に努力した騎士道精神の持ち主であった。神聖ローマ帝国におけるスウェーデン領のレーエン関係の成立などに現れる。しかし、絶対主義化とプロテスタント主義を目指すスウェーデン政府との軋轢が彼女を苦しめたのである。スウェーデンの国益と自由主義の狭間で揺れ動いた彼女は、最終的に己の意志を貫き、退位を決意したのであった。

豊かな教養を持つクリスティーナは、グロティウスデカルトらと交わり、彼らを宮廷に招聘している。20歳の時に退位の計画を立て、その7年後に従兄カール10世に王位を譲り、外遊を始めた。

1655年インスブルックで誓絶式を行い、カトリックに改宗した。1655年12月ローマに到着し、以後ローマに居を定めフランス・ドイツ・スウェーデンを周遊した。1660年に従兄カール10世が死去、その子カール11世が5歳で即位すると、クリスティーナはすかさずストックホルムに戻り、「カール10世とその子女に王位を譲っただけなので、カール11世が亡くなった場合は復位する」と宣言した。しかし、クリスティーナはすでにカトリックに改宗しており、この宣言はスウェーデンで受け入れられるものではなかった。このため、彼女は王位継承権の放棄を再び宣言、1662年にローマに帰還。1668年ポーランド王ヤン2世が退位し、クリスティーナはポーランド王国国王自由選挙に名乗り上げた。彼女はカトリック信仰と結婚するつもりのないことを主張し支持を集めようとしたが、王位はマグナートミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキが継承した。その後、ナポリ王国の王位につこうとして失敗したのち、1668年からローマに定住し、学問・芸術・文学を研究する日々を送る。1674年にはローマにアカデミー(後のアルカディア学会英語版)を創設した。

1689年、ローマで逝去。遺体はバチカンサン・ピエトロ大聖堂に葬られた。







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