ガイウス・マエケナス 著作活動

ガイウス・マエケナス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:22 UTC 版)

著作活動

マエケナスは文筆家への援助だけでなく、自身でも散文詩歌の両方を書いており、今日まで20篇ほどの作品の断片が残っているが、自らが援助した詩人や文筆家のような文学的な名声を得る程の能力は無かったことが示されている。

マエケナスの作品は種々のテーマを扱っている。ギリシア神話プロメーテウスに因んだ物、シンポジウムのような対話集(ウェルギリウス、ホラティウス、メッサッラも出席していた)、『De cultu suo』(彼の生き方)、『In Octaviam』(小オクタウィア(アウグストゥスの姉)を題材とした詩)といった作品を作成したが、妙な文体であったり、文脈で使うには不適当な単語があったり、文脈自体のズレが多かったりして、友人でもある皇帝アウグストゥスや、マエケナスより後の時代のローマ人であるルキウス・アンナエウス・セネカクインティリアヌスらの物笑いとなった。

なお、カッシウス・ディオによると、マエケナスは速記システムの発明者であったと伝わっている。

マエケナス庭園

マエケナスは有名な庭園を設計し、1つ目はローマ市内のエスクィリヌスの丘セルウィウス城壁 、ラミア(Lamia)の庭に近いネクロポリスに隣接した場所へヘレニズムおよびペルシア風の庭園を造園した。

マエケナスは庭園内にローマで初めて温水プールを建築したと言われている[17]。 マエケナス庭園は、ローマ文化を凝縮した書庫のような存在であったが、その庭園とティブル(現:ティヴォリ)に建てられた豪華な別荘はセネカの不快を買ったとされる。

ティブルのマエケナス別荘』("Villa des Maecenas mit den Wasserfällen in Tivoli")。ドイツ人画家ヤコブ・フィリップ・ハッケルトによる1783年の作。

マエケナス庭園があった場所はセルウィウス城壁の隆起の両側とポルタ・エスクィリナの南北のいずれかとされているが、庭園の正確な位置を決定付ける文献資料は乏しい。

エスクィリヌスのネクロポリス (Esquiline Necropolis) の墓石を彫るための刻器が、現在のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場の北西角地の近くで発見されている。

エスクィリヌスの古い門の外側とティブルティーナ街道の北側、「ホルティ・マエケナティアニ」(horti Maecenatiani)はセルウィリウス城壁に隆起した両側の門と道路から北側へ恐らく拡張されていた。

マエケナス庭園はマエケナスの死後、帝国の資産となった。なお、ティベリウス2年にローマへ帰国した後は従来までのカリナエにあったポンペイウス邸宅からマエケナス庭園へ住居を変えた[18]

64年には皇帝ネロパラティヌスの丘にあった皇帝宮殿のドムス・トランシトリア(Domus Transitoria)と繋がっていたマエケナスの別荘(塔)[19] で、ローマ大火の様子を眺めていたと伝わっている[20]

ネロが滞在していたと伝わるマエケナスの別荘(塔)は、恐らくホラティウスが言及していた「モレム・プロピンクァム・ヌビブス・アルドゥイス」(molem propinquam nubibus arduis、雲の中にある山)であった考えられている[21]

マルクス・コルネリウス・フロント(en)によって購入された「ホルティ・マエケナティアニ」[22] が実際にマエケナスの庭園であったかは知られていない、そして12世紀にマギステル・グレゴリウスによって言及された「ドムス・フロントニアナ(domus Frontoniana)」がマエケナス庭園であったかもしれない[23]

メセナの語源

マエケナス庭園の近くで発見された花崗閃緑岩に彫られた古代エジプトの神アピスの石像。
ローマ国立博物館(アルテンプス宮)収蔵)。

マエケナスの名前は後世まで伝わり、今日では「裕福な支援者」を意味することとなった。マエケナスが果たした功績はマエケナス死後にウェルギリウスによって書かれた『Elegiae in Maecenatem』とその続編の『Appendix Vergiliana』の2つの詩集で称えられた。

マエケナスに因んだ「裕福な支援者」を意味する言葉は様々な言語で用いられることとなり、メセナフランス語: mécénat)がそれに該当する。なお、他の言語について、イタリア語で「mecenate」、ドイツ語で「Mäzen」、スペイン語で「mecenas」、オランダ語で「mecenaat」、フィンランド語で「mesenaatti」、ルーマニア語で「mecen」、ギリシア語で「μαικήνας」、スロベニア語で「mecen」、ロシア語で「меценат」がそれぞれ該当する。


  1. ^ ホラティウス Odes 4, 11, Z. 14–20.
  2. ^ ティトゥス・リウィウス x. 3.
  3. ^ タキトゥス『年代記』6.11
  4. ^ Varro, however, specifies that the name Maecenas is a nomen based on origin like Lesas, Ufenas, etc: see Chris J. Simpson, "Two Small Thoughts on 'Cilnius Maecenas'" 1996.
  5. ^ Pro Cluentio, 56
  6. ^ Odes iii. 8, 5
  7. ^ タキトゥス『年代記』14.53
  8. ^ ii. I, 25-30
  9. ^ ホラティウス, Satires, i. 5.
  10. ^ スエトニウス『皇帝伝』アウグストゥス 66
  11. ^ カッシウス・ディオ、liv. 19
  12. ^ スエトニウス『皇帝伝』アウグストゥス 69
  13. ^ スエトニウス『皇帝伝』アウグストゥス 72
  14. ^ スエトニウス『皇帝伝』アウグストゥス 86
  15. ^ ii. 88
  16. ^ ii. 17. a
  17. ^ Cassius Dio LV.7.6
  18. ^ スエトニウス『皇帝伝』ティベリウス 15
  19. ^ タキトゥス『年代記』15.39
  20. ^ スエトニウス『皇帝伝』ネロ 38
  21. ^ ホラティウス Odes iii.29.10.
  22. ^ Fronto, ad M. Caesarem 2.2 - "Plane multum mihi facetiarum contulit istic Horatius Flaccus, memorabilis poeta mihique propter Maecenatem ac Maecenatianos hortos meos non alienus. Is namque Horatius Sermonum libr(o) s(ecundo) fabulam istam Polemonis inseruit, si recte memini, hisce versibus..."
  23. ^ Journal of Roman Studies 1919, 35, 53.1






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ガイウス・マエケナス」の関連用語

ガイウス・マエケナスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ガイウス・マエケナスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのガイウス・マエケナス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS