ウェセックス王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 09:22 UTC 版)
クヌートの支配以降
クヌートが1016年イングランドを占拠すると、かつてのノーサンブリア、マーシア、イースト・アングリアのあった地域に伯爵領を制定するが、ウェセックスは直接統治した。しかし数年後、クヌートはウェセックスも伯爵領とし、イングランド人の部下ゴドウィンに託す。50年の間、この領地を支配する者、最初はゴドウィン、そして息子のハロルドは王の次に権力を持つ存在となった。そして1066年にエドワード懺悔王が亡くなるとハロルド自身がハロルド2世としてイングランド王位に就き、ウェセックス伯領を併合させた。そしてノルマンディー公ウィリアムがハロルドを排し、イングランド王となるとこの伯爵領を拝領する者はなく、ウェセックス伯領も間もなく廃止された。1066年をもって行政単位としてのウェセックスはなくなった。
ウェセックス王
初期の王
初期の王は『ゲウィス(ゲウィサエ)の王』として名乗られている。
- チェルディッチ(Cerdic、519年-534年)
- キュンリッチ(Cynric、534年-560年)
- チェウリン(Ceawlin、560年-591年)
- クスウルフ(Cuthwulf、571年)-「西サクソン王」の称号が例外的についている。チェウリンのもとでベドカンフォードの進攻で得た地域を共同統治したものと考えられている。
- チェオル(Ceol、591年-597年)
- チェオルウルフ(Ceolwulf、597年-611年)
- キュネイルス(Cynegils、611年-643年)
- クウィチェルム(Cwichelm、626年-636年)- キュネイルスと同時代の王。関連の詳細は不明。
- チェンワルフ(Cenwalh、643年-645年)
マーシア王国の支配
ペンダ(Penda、645年-648年)
ウェセックス王家の復位
ここから『西サクソンの王』の称号がつく。
- チェンワルフ(648-674)
- サクスブルフ(Seaxburh、672年-674年)-チェンワルフの妻、夫の死後王位に。
- チェンフス(Cenfus、674年)
- エシュウィネ(Aescwine、674年-676年)
- チェントウィネ(Centwine、676年-685年)
- キャドワラ(Caedwalla、685年-688年)
- イネ(Ine、688年-726年)
- エゼルエルド(Æthelheard、726年-740年)
- クスレッド(Cuthred、740年-756年)
- シエベルート(Sigeberht、756年-757年)
- キュネウルフ(Cynewulf、757年-786年)
- ベオルートリッチ(Beorhtric、786年-802年)
- エグバート(Egbert、802年-839年)、以降はイングランド王。
- エゼルウルフ(Ethelwulf、839年-856年)
- エゼルバルド(Ethelbald、856年-860年)
- エゼルベルト(Ethelbert、860年-865年)
- エゼルレッド(Ethelred、865年-871年)
- アルフレッド大王(Ælfred the Great、871年-899年)
- エドワード長兄王(Edward the Elder、899年-924年)
- エルフウェルド(Ælfweard、924年)
- アゼルスタン(Athelstan、925年-927年)
関連項目
- ウェセックス王国のページへのリンク