ウィリアム・スタージス・ビゲロー ウィリアム・スタージス・ビゲローの概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウィリアム・スタージス・ビゲローの解説 > ウィリアム・スタージス・ビゲローの概要 

ウィリアム・スタージス・ビゲロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 09:01 UTC 版)

ウィリアム・スタージス・ビゲロー

略歴

著名な外科医の一人息子としてボストンに生まれる。1874年ハーバード大学医学部卒。1881年、エドワード・モースの講演を聞いて日本に興味を持ち、1882年来日、先に来日していたアーネスト・フェノロサとともに岡倉天心らをはじめ、日本各地の寺などを援助する。日本美術の収集家として知られ、帰国後の1890年ボストン美術館理事に就任。同年父親が死去し、莫大な遺産を相続する。フェノロサ死去の翌年の1909年には、公務に対する褒賞である勲三等旭日章を受勲する。1911年にビゲローの収集品は正式にボストン美術館に寄贈された。

来日がきっかけで仏教に傾倒し、滋賀県大津市にある園城寺の子院・法明院の住職だった桜井敬徳を導師に授戒。戒名は月心であり、授戒後の彼が書いた手紙には"Gessin"とサインしている。ビゲローは帰国後も法明院に寄進を行っている。法明院には、ビゲローやフェノロサが過ごした茶室や遺品が残されている他、墓所もフェノロサの墓[1]と並んである。

ビゲローの膨大な版画(浮世絵)コレクションは33,264枚という膨大な数量を誇り、ボストン美術館全体の約64パーセントを占める。ビゲローが最も多く所蔵する版画作品は歌川国貞浮世絵で、その数は9,088枚にも上り、全体の約3分の1を占める。次に歌川国芳の3,340枚、歌川広重の1,736枚と続く。さらにビゲローは、歌舞伎番付のコレクションを1,215点も収集し、浮世絵に加えて珍しい摺物や番付、重要な役者絵と符合する歌舞伎番付を数多く所有している[2]

家族

父のヘンリー・ジェィコブ。1854年

評伝

参考文献

  • 畑江麻里「ボストン美術館蔵ビゲローコレクションにおける歌川国貞(三代豊国)の浮世絵―役者絵の数量的分析および歌舞伎番付との符合調査から浮かび上がるウィリアム・スタージス・ビゲローの蒐集動機―」『LOTUS』vol.37、日本フェノロサ学会、2017年3月、pp.69-88
  • 北川博子『ボストン美術館所蔵上方絵目録』、関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター、2007年

関連項目


  1. ^ [1]
  2. ^ 畑江(2017)p.80。
  3. ^ 大津と町田久成,ビゲロー,そしてフェノロサ中林隆明 (国立国会図書館, 1997-03-31) 参考書誌研究. (47)


「ウィリアム・スタージス・ビゲロー」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウィリアム・スタージス・ビゲロー」の関連用語

ウィリアム・スタージス・ビゲローのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウィリアム・スタージス・ビゲローのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウィリアム・スタージス・ビゲロー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS