すべてのデモの母 デモ

すべてのデモの母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 02:53 UTC 版)

デモ

ダグラス・エンゲルバートのスケッチをもとにビル・イングリッシュが設計したマウス[4]

1960年代初頭、エンゲルバートはコンピュータエンジニアとプログラマーから成るチームを結成し、スタンフォード大学スタンフォード研究所(SRI)にオーグメンテーション研究所(ARC)を立ち上げた[15]。コンピュータを単なる数値演算処理装置に限定せず、通信や情報の収集に使えるツールにするのが狙いだった[16]ヴァネヴァー・ブッシュが描いていたMemex装置のアイデアを実現し、コンピュータの対話的(インタラクティブ)な利用による人間の知能の増強を目指した[16]

アメリカ航空宇宙局(NASA)と ARPAの双方から助成金を得たエンゲルバートのチームは[17]、6年をかけて、目指すコンピュータシステムの実現に必要なあらゆる要素を取りまとめていった。ARPAのディレクターを務めるロバート・テイラーの勧めによって、サンフランシスコシビック・オーディトリウム英語版(市民公会堂)を会場として開催される1968年秋季合同コンピュータ会議で、NLSを初めて一般公開することが決まった[18]

合同会議のセッションは、題名を A research center for augmenting human intellect とした[19]。会場には、およそ1,000人のコンピュータ専門家が集まり、プレゼンを聴講した[20]。聴衆の中には、アラン・ケイチャールズ・アービー英語版アンドリーズ・ヴァン・ダム[21]ボブ・スプロール英語版などの著名な人物がいた[22]

エンゲルバートは、ビル・パクストン英語版ビル・イングリッシュといったチームメンバーがそれぞれ会場とは別の場所からデモの進行をアシストする形で、NLSの機能を実演した。プレゼンの実施に関わる技術面は、イングリッシュが指揮を執った[注 1]。エンゲルバートの操作が聴衆に見えるよう、NLSコンピュータの画面は、映像出力をアイドホール英語版プロジェクターに接続して高さ 6.7メートル (22 ft) の大スクリーンに映し出された[24]

ARCの研究者らは、1968年当時としては高速な1200 ボーモデムを特別に製作し、専用線を介して会場のコンピュータ・ワークステーションに接続されたキーボードとマウスからの入力を研究チームの本拠地であるメンロー・パークのラボに置かれているSDS-940コンピュータに転送した[注 2]

ラボと会場ホールの間で双方向の通信を実現するため、2本のマイクロ波回線が用意された。また、大スクリーンの表示を制御するため、イングリッシュはビデオ・スイッチャーを使った。メンロー・パーク側でカメラを担当したのはスチュアート・ブランドであった。ブランドはコンピュータ関係者ではなく、『全地球カタログ』の編者として当時よく知られていた人物で、デモの見せ方についてエンゲルバートとチームに助言した[25]

90分間のプレゼンで、エンゲルバートはマウスの試作機を使って画面上の移動やテキストの強調表示、ウィンドウのサイズ変更を行って見せた[26]。画面上のテキストを操作する統合システムが一般公開されたのはこれが初めてだった[26][注 3]

デモでは、ARCチームのジェフ・ルリフソンやビル・パクストンが大スクリーンの一部に代わる代わる映し出されて、彼らがARCの研究所からテキストの遠隔編集を行う様子も実演された。編集中、彼らは互いに相手の画面が見ながら会話もできた。続いて、エンゲルバートは下線付きのテキストをクリックして別のページに記載された情報にリンクするハイパーテキストの概念を示した[15]

エンゲルバートがデモを終えると、聴衆からスタンディング・オベーションが送られた[15]。引き続きシステムのデモを行い、NLSワークステーションをじっくり見てエンゲルバートに質問する機会を作るため、別室が用意された[要出典]。NLSシステムに対するエンゲルバートの考え方は特徴的であった。これについて、フレッド・ターナーは著書の『From Counterculture to Cyberculture: Stewart Brand, the Whole Earth Network, and the Rise of Digital Utopianism』で次のように書いている。

エンゲルバートは、「ブートストラップ」という考え方を世に広めた。すなわち、社会的技術システムであるNLSによる実験で生じた変容を逐一システム自体にフィードバックし、システムを進化させる(そして、おそらく改善する)のだ[28]


注釈

  1. ^ イングリッシュはこの会議に寄せられた論文の共同執筆者として名を連ねており、NLSとデモの実現に関わった主要エンジニアとしてエンゲルバートから謝辞を贈られている[23]
  2. ^ 1200ボー(1.2キロビット/秒)のモデムは、その後10年経っても「高速」な部類であった。また、当時のモデムは片側通信にしか対応していなかったので、アップリンクとダウンリンクに各1台が必要であった[25]
  3. ^ ドイツのテレフンケン社は、1960年代に「ロールクーゲル」(Rollkugel)と呼ばれるマウスを開発していた。エンゲルバートのプレゼンに先立つ1968年10月、この製品は同社の「Telefunken SIG-100」モニターの販促資料に掲載されていた。詳細はen:Computer mouse#First rolling-ball mouse(日本語版未掲載)を参照のこと[27]

出典

  1. ^ a b 人類の進化を加速させた「手で触る情報操作」 子どもの創造的学習意欲を刺激するパソコンは、ここから始まった”. 日本電気. 2021年12月12日閲覧。
  2. ^ “マウスやGUI、ハイパーリンクの生みの親D・エンゲルバート氏、88歳で死去”. CNET Japan. https://japan.cnet.com/article/35034255/ 2022年12月2日閲覧。 
  3. ^ Scientific Information Notes, (2022), https://books.google.co.jp/books?id=_x5DuwwBA1sC&pg=PA14&dq=American+Federation+of+Information+Processing+Societies+FJCC+1968&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=0&sa=X&ved=2ahUKEwjdpIGu79r7AhWD0mEKHddUAnEQ6AF6BAgIEAI#v=onepage&q=American%20Federation%20of%20Information%20Processing%20Societies%20FJCC%201968&f=false 2022年12月2日閲覧。 
  4. ^ a b c Edwards (2008).
  5. ^ a b Rheingold (2000), p. 188.
  6. ^ Naughton (2000), p. 218.
  7. ^ Levy (1994).
  8. ^ 酒井啓子 (2016年). “[1]イラク戦争「すべての戦いの母なる戦争」 |論座 - 朝日新聞社の言論サイト”. 2022年12月2日閲覧。
  9. ^ Mother of all battles – Oxford Reference”. Oxford University Press. 2020年9月28日閲覧。
  10. ^ The phrase “mother of all bombs” has a long history in the Middle East, Insider, (2017), https://www.businessinsider.com/what-does-mother-of-all-bombs-mean-iraq-saddam-hussein-2017-4 2022年12月4日閲覧。 
  11. ^ Brown/MIT (1995).
  12. ^ a b Metroactive (2005).
  13. ^ a b Turner (2006), p. 106.
  14. ^ a b Turner (2006), p. 107.
  15. ^ a b c d Wolvertone (2008).
  16. ^ a b Markoff (2005), p. 237, chpt. 5.
  17. ^ Markoff (2005), p. 102, chpt. 2.
  18. ^ Markoff (2005), p. 240, chpt. 5.
  19. ^ Engelbart (2008a).
  20. ^ Tweney (2008).
  21. ^ Markoff (2005), pp. 249, 250, 251, chpt. 5.
  22. ^ SRI Staff (2008).
  23. ^ Engelbart & English (1969).
  24. ^ Wired Staff (2004).
  25. ^ a b Markoff (2005), pp. 240–247, chpt. 5.
  26. ^ a b c d Metz (2008).
  27. ^ Bülow (2009).
  28. ^ Turner (2006), p. 108.
  29. ^ ACM SIGGRAPH: Report on Andy van Dam Archived August 4, 2007, at the Wayback Machine.
  30. ^ a b Markoff (2005), p. 250, chpt. 5.
  31. ^ Markoff (2005), p. 349, chpt. 7.
  32. ^ Gladwell (2011).
  33. ^ Blackstone (1998).
  34. ^ Shiels (2008).
  35. ^ Engelbart’s historic demo: What have we learned 50 years later?, The Mercury News, (2018), https://www.mercurynews.com/2018/12/09/engelbarts-historic-demo-what-have-we-learned-50-years-later/ 2022年12月4日閲覧。 
  36. ^ Symposium, The Demo @ 50, (2018), https://thedemoat50.org/symposium/ 2022年12月4日閲覧。 





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