すべてのデモの母 すべてのデモの母の概要

すべてのデモの母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 02:53 UTC 版)

12月9日の本番に向けてデモの予行練習を行うダグラス・エンゲルバート

ライブで披露されたデモの目玉は、NLS(oN-Line System)と名付けられた、コンピュータハードウェアとソフトウェアから成る完全なシステムだった。90分間のプレゼンテーションで、ウィンドウハイパーテキストグラフィックス、効率的なナビゲーションおよびコマンド入力、ビデオ会議マウスワープロ、ファイルの動的リンクバージョン管理システムリアルタイム共同編集エディターなど、現代のパーソナルコンピューティングで使われている基本的要素の多くが初めて示された。エンゲルバートのプレゼンは、これらの要素をすべて備えた一式のシステムを公開した初めてのデモであった。デモが終わると、会場に来ていた大勢の高度な技術者らからエンゲルバートとそのチームに対して大喝采が送られた[5]。互いに競争心が強く、批判的なコンピューター業界には稀な出来事であった[5]

このデモは業界に大きな影響を与え、1970年代初頭にパロアルト研究所(PARC)で同様のプロジェクトが立ち上げられるきっかけとなった。NLSの基盤コンセプトとテクノロジーは、1980年代から1990年代にかけて登場したアップルMacintoshMicrosoft Windowsの両オペレーティングシステムに採用されたグラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)に事実上の影響を間接的に与えたと推測される。

語源

エンゲルバートの講演を最初に「すべてのデモの母」と呼んだのは、ジャーナリストのスティーブン・レヴィ英語版である。レヴィは1994年の著書『Insanely Great: The Life and Times of Macintosh, the Computer that changed Everything』で、この講演の様子を「(エンゲルバートが)落ち着いたミッションコントロールの(ような)声で説明を進め、聴衆は正真正銘の開拓最前線が猛烈な勢いで流れていくのを目の当たりにした。それはすべてのデモの母だった」と書いている[6][7]。レヴィが「すべての○○の母」という表現を用いた背景には、1991年に始まった湾岸戦争を、当時のイラク大統領サダム・フセインが「すべての戦いの母」と呼び[8][9]、流行のフレーズとなっていたことがある[10]‌。1968年のデモで見たいくつかのアイデアをFRESSHESに活かしたアンドリーズ・ヴァン・ダムも、1995年にMITで開かれたヴァネヴァー・ブッシュ・シンポジウムで「すべてのデモの母」に触れながらエンゲルバートを紹介した[11]。この呼び名は、2005年のジョン・マルコフの著書『パソコン創世「第3の神話」』でも使われている[12]

背景

エンゲルバートがオーグメンテーション研究センター(ARC)を設立し、NLSを開発する元になった考えの多くは、第二次世界大戦と初期の冷戦時代の「研究文化」に端を発していた。エンゲルバートのインスピレーションの源として特に注目すべきは、彼が1946年に米海軍のレーダー技士としてフィリピンに駐留していたときに読んだアトランティック誌の記事で、ヴァネヴァー・ブッシュが書いた「As We May Think英語版」である[13]。エンゲルバートは、戦争で得られた科学的知識を正しく使うよう社会を導くには、その知識をしっかり管理し、規制する必要があるとの見方を持っていた[13]フレッド・ターナーは、著書『カウンターカルチャーからサイバーカルチャーへ』(2006年)の中で、テクノロジーが戦後の世界に対して思いがけない影響を与えているのを見て、エンゲルバートの見解について自身の考えを述べた[14]

アメリカ軍は、世界を破壊しかねない技術を開発した。これを受けて科学者や技術者が世界中に散らばり、各々の知識を応用して疾病の根絶や食糧生産の増強に乗り出した。その多くは、冷戦下で第三世界諸国から忠誠を獲得するのが目的だった。エンゲルバートはこうした行動について読み、それがしばしば逆効果になっているのを見た。急速な食糧生産は土壌の枯渇につながり、昆虫の根絶は生態系の不均衡を招いた。

これが最終的に、コンピュータは単に計算を実行するだけでなく、人間の知能を "augment"、すなわち増強するのに使えるはずだという考えにつながった[14]


注釈

  1. ^ イングリッシュはこの会議に寄せられた論文の共同執筆者として名を連ねており、NLSとデモの実現に関わった主要エンジニアとしてエンゲルバートから謝辞を贈られている[23]
  2. ^ 1200ボー(1.2キロビット/秒)のモデムは、その後10年経っても「高速」な部類であった。また、当時のモデムは片側通信にしか対応していなかったので、アップリンクとダウンリンクに各1台が必要であった[25]
  3. ^ ドイツのテレフンケン社は、1960年代に「ロールクーゲル」(Rollkugel)と呼ばれるマウスを開発していた。エンゲルバートのプレゼンに先立つ1968年10月、この製品は同社の「Telefunken SIG-100」モニターの販促資料に掲載されていた。詳細はen:Computer mouse#First rolling-ball mouse(日本語版未掲載)を参照のこと[27]

出典

  1. ^ a b 人類の進化を加速させた「手で触る情報操作」 子どもの創造的学習意欲を刺激するパソコンは、ここから始まった”. 日本電気. 2021年12月12日閲覧。
  2. ^ “マウスやGUI、ハイパーリンクの生みの親D・エンゲルバート氏、88歳で死去”. CNET Japan. https://japan.cnet.com/article/35034255/ 2022年12月2日閲覧。 
  3. ^ Scientific Information Notes, (2022), https://books.google.co.jp/books?id=_x5DuwwBA1sC&pg=PA14&dq=American+Federation+of+Information+Processing+Societies+FJCC+1968&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=0&sa=X&ved=2ahUKEwjdpIGu79r7AhWD0mEKHddUAnEQ6AF6BAgIEAI#v=onepage&q=American%20Federation%20of%20Information%20Processing%20Societies%20FJCC%201968&f=false 2022年12月2日閲覧。 
  4. ^ a b c Edwards (2008).
  5. ^ a b Rheingold (2000), p. 188.
  6. ^ Naughton (2000), p. 218.
  7. ^ Levy (1994).
  8. ^ 酒井啓子 (2016年). “[1]イラク戦争「すべての戦いの母なる戦争」 |論座 - 朝日新聞社の言論サイト”. 2022年12月2日閲覧。
  9. ^ Mother of all battles – Oxford Reference”. Oxford University Press. 2020年9月28日閲覧。
  10. ^ The phrase “mother of all bombs” has a long history in the Middle East, Insider, (2017), https://www.businessinsider.com/what-does-mother-of-all-bombs-mean-iraq-saddam-hussein-2017-4 2022年12月4日閲覧。 
  11. ^ Brown/MIT (1995).
  12. ^ a b Metroactive (2005).
  13. ^ a b Turner (2006), p. 106.
  14. ^ a b Turner (2006), p. 107.
  15. ^ a b c d Wolvertone (2008).
  16. ^ a b Markoff (2005), p. 237, chpt. 5.
  17. ^ Markoff (2005), p. 102, chpt. 2.
  18. ^ Markoff (2005), p. 240, chpt. 5.
  19. ^ Engelbart (2008a).
  20. ^ Tweney (2008).
  21. ^ Markoff (2005), pp. 249, 250, 251, chpt. 5.
  22. ^ SRI Staff (2008).
  23. ^ Engelbart & English (1969).
  24. ^ Wired Staff (2004).
  25. ^ a b Markoff (2005), pp. 240–247, chpt. 5.
  26. ^ a b c d Metz (2008).
  27. ^ Bülow (2009).
  28. ^ Turner (2006), p. 108.
  29. ^ ACM SIGGRAPH: Report on Andy van Dam Archived August 4, 2007, at the Wayback Machine.
  30. ^ a b Markoff (2005), p. 250, chpt. 5.
  31. ^ Markoff (2005), p. 349, chpt. 7.
  32. ^ Gladwell (2011).
  33. ^ Blackstone (1998).
  34. ^ Shiels (2008).
  35. ^ Engelbart’s historic demo: What have we learned 50 years later?, The Mercury News, (2018), https://www.mercurynews.com/2018/12/09/engelbarts-historic-demo-what-have-we-learned-50-years-later/ 2022年12月4日閲覧。 
  36. ^ Symposium, The Demo @ 50, (2018), https://thedemoat50.org/symposium/ 2022年12月4日閲覧。 


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