お猿のかごや
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歌詞
山上は本曲の曲想について以下のように語っている。
つまずきながら、滑りながら、ただ懸命に駆け続ける二人---、その姿を私はいつか自分のペンで描いてみたいと思っていた。そうだ、二人はかごやなのだ。先棒はいつもリードしてくれている海沼先生。後棒はそれに従う自分。二人とも「信州の山猿」だから、擬人化して猿にしよう……。我が家にあった、「小田原提灯」を何の迷いもなくかつぎ棒にぶらさげて……、
— 山上武夫『「お猿のかごや」に寄せて』(昭和五十二年三月十五日)[12]
また、二番目の歌詞に登場する「すましたこんぎつね」とは、当時レコード会社を訪問しても相手にしてくれなかった気位の高いレコード会社のディレクターを指しているという[21]。そして最後に、「むこうのお山」をヒット曲と見て、下積み状態の二人にとってそれはまだまだ遠い、と結んだのである[29]。
猿が駕籠をかつぐ舞台として、山上は故郷松代の東条の奥にある清滝あたりを思い浮かべていたという[30][31]。また作曲者の海沼は、それより北にある愛宕山の先の鳥打峠のあたりを想定して作曲したといわれる[30]。
当初の山上の詞では、冒頭部の掛け声は「エッサ ホイサ エッサ ホイサ」となっていた。海沼は曲がつけやすいようにこれを「エッサ エッサ エッサホイサッサ」と改変した[32]。このような作曲者による原詞の改変は当時は普通のことであったが[32]、山上は納得できず食い下がった。しかし海沼が曲を付けて歌って見せると「うん、この方がいい」と納得したという[21]。また海沼は、最後の掛け声も原詞の「ホイ ホイ ホイ ホイ ホイサッサ」を「ホーイ ホイ ホイ ホイサッサ」と改変し、さらに原詞になかった「ソレ」の掛け声を「ヤットコドッコイ…」の前に付け加えた[20]。童謡研究家の池田小百合は、この改作により「歯切れよく、いっそう力強く楽しく、あかぬけたように思われる」と評している[20]。また、「エッサ エッサ エッサホイサッサ」と「サ」の音を反復することで「おさる」の「さ」が引き出されてくる、という分析もある[33]。
注釈
- ^ レコード童謡についてはレコード童謡節を参照のこと。
- ^ 初出のレコードでの表記は「オ猿ノカゴヤ」であった[16]。
- ^ 歌詞はスペイン語で、曲名は「Nos Vamos A Pasear」。1962年に日本限定で発売されたLP『パンチョス日本を歌う -日本バンザイ-』(日本コロムビア、規格品番:YS-229)にも収録された。
- ^ その他『村まつり』、『証城寺の狸ばやし』、『汽車ポッポ』、『めんこい仔馬』、『夢のおそり』など比較的陽気な歌の人気が高かった[37]。
- ^ サトウはさらに「私はこれを、子供のギッチョンチョンであり、オペレッツのパアであり、ストトンであり、ドンドンぶしであり、シカモソジャナイカネエアナタチョイとチョイとぶしだと思うのである」[44]と続けている
- ^ たとえば、童謡に関する薀蓄本でも、本歌を「箱根越えの歌である」と断じているものがある[49]。また、「箱根の山道を二匹の猿が登っていく光景が目に浮かぶ」とする評もある[50]。また、「お猿のかごやはどこの道を急いでいるのか。キーワードは「小田原提灯」ではないか。そう。箱根の坂道である。」という出だしで箱根旧街道の案内をしている書籍[51]もある。
- ^ 他に「小田原のうた」として紹介されているのは、『二宮金次郎』『みかんの花咲く丘』(国府津から熱海にかけてのみかん山がモデルになったとされる)、『あわて床屋』(モデルが小田原市内の床屋とされる)、『めだかの学校』(市内の荻窪用水がモデルとされる)の4曲である[53]。
出典
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