堅壁清野とは? わかりやすく解説

堅壁清野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 01:56 UTC 版)

堅壁清野(けんぺきせいや)は、焦土作戦の一種。清野作戦ともいう[1]。城壁に囲まれた市街地内に人員を集中させ(堅壁)、城外は徹底して焦土化する(清野)ことで、進攻してきた敵軍は何も接収できないようにして[2]疲弊させ、持久戦を有利に運ぶ狙いで行われる。


  1. ^ a b c 笠原十九司『南京事件』岩波書店、1997年、120頁。
  2. ^ 王定安「求閥斎弟子記」。荒武達朗「清末民国期莒州大庖鎮の荘氏と地域社会:成豊年間捻匪の襲来を中心に」徳島大学総合科学部人間社会文化研究9,2002,p92
  3. ^ 焦土(中国語記事)
  4. ^ 世界大百科事典 第2版『堅壁清野』 - コトバンク
  5. ^ 波多野澄雄 庄司潤一郎:日中歴史共同研究2010.近現代史「第2部第2章 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦」
  6. ^ a b c d e f g h i 李昌鎬「朝鮮戦争期の民間人虐殺事件に対する 刑事法的対応 ――山清,咸陽,居昌の民間人虐殺事件を中心に――」立命館法學 2012(2), p1157-1184.
  7. ^ 魯迅「堅壁清野主義」1926年1月「新女性」創刊号、上海。魯迅選5巻、岩波書店 1956


「堅壁清野」の続きの解説一覧

堅壁清野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:19 UTC 版)

南京事件」の記事における「堅壁清野」の解説

ニューヨークタイムズ』は「中国軍放火による財産破壊の額は、容易に2000から3000万ドル達する。これは南京攻略先駆けて数カ月わたって行われた日本軍南京空襲による破壊より大きいものであり、おそらく、南京攻撃における日本軍の爆撃占領後日本軍部隊によってもたらされ被害匹敵するであろう中国軍指導部は、軍事的必要性から、市周辺全域焼き払ったと常に説明していた。」と報じた笠原十九司によれば中国軍強行した清野作戦」の結果食糧略奪民家宿営頼ってきた中支那方面軍の諸部隊は、城外区域駐屯することができず、「注意事項」で厳禁され城内駐屯をせざるをえなくなり食料物資略奪城内行われることになり、道路沿いの農村焼き払われたため、諸部隊食糧徴発行動はさらに遠隔農村にまで波及した、という。

※この「堅壁清野」の解説は、「南京事件」の解説の一部です。
「堅壁清野」を含む「南京事件」の記事については、「南京事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「堅壁清野」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「堅壁清野」の関連用語

堅壁清野のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



堅壁清野のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの堅壁清野 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの南京事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS