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山本覚馬

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 07:35 UTC 版)

山本 覚馬(やまもと かくま、旧字体: 山本 覺馬文政11年1月11日1828年2月25日) - 明治25年(1892年12月28日)は、幕末会津藩士、砲術家、明治時代の地方官吏、政治家京都府顧問、府議会議員(初代議長)として初期の京都府政を指導した。また、同志社英学校(現:同志社大学)の創立者・新島襄の協力者として、現在の同志社大学今出川校地の敷地を譲った人物としても知られている。相応斎[1]


注釈

  1. ^ この銃は鳥羽・伏見の戦いには納入が間に合わず、後に紀州藩が引き受け、実験的藩政改革の後に明治新政府に押収されることとなるが、西南戦争で活用されることとなった[5]
  2. ^ 他の囚人は土間で寝起きする中、覚馬にだけ床板張りの畳の間があてがわれた。また、余分の夜具と毎日酒一升が与えられるなどの特別待遇だった。
  3. ^ この時の聴講生として、のちの滋賀県東京府知事の松田道之大阪府知事の藤村紫朗がいる
  4. ^ 書名の「管見」は、「自分の見解」の謙称である。
  5. ^ 徳冨蘆花の小説『黒い眼と茶色の目』では時恵。
  6. ^ 『黒い眼と茶色の目』では時栄の不貞が原因とされている。
  7. ^ 作中では寿代(ひさよ)となっている。

出典

  1. ^ a b c d e f g 『日本近現代人名辞典』、1113頁
  2. ^ a b 野口信一. “山本八重子と会津の精神風土(平成21年12月12日)、190頁” (PDF). 同志社大学. 2022年3月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『日本人名大事典』、397頁
  4. ^ 荒木、118p.
  5. ^ 荒木、85p.
  6. ^ a b 荒木、107 - 108p.
  7. ^ 安藤、276p.
  8. ^ 「さつま人国誌 会津藩士・山本覚馬と薩摩藩(下)」『南日本新聞』2013年5月20日
  9. ^ https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/cmsfiles/contents/0000083/83714/No.15.pdf
  10. ^ a b c d e f g h 『日本近現代人名辞典』、1114頁
  11. ^ 山本覚馬のThe guide to the celebrated places in Kiyoto ...”. レファレンス協同データベース. 2020年8月23日閲覧。
  12. ^ 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年、36頁
  13. ^ カトリック河原町教会の洗礼台帳に見る山本覚馬と久栄の洗礼” (PDF). カトリック河原町教会だより (2014年1月). 2020年12月29日閲覧。
  14. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.38
  15. ^ a b c 『八重とその時代 幕末と明治を生きた人々』


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