duce
「duce」の意味・「duce」とは
「duce」は、イタリア語の単語であり、英語においては「リーダー」または「指導者」を意味する。特に、第二次世界大戦時のイタリアの独裁者、ベニート・ムッソリーニが自らを指すために用いた言葉として知られている。しかし、一般的な文脈では、指導者やリーダーを指す一般的な言葉として使用される。「duce」の発音・読み方
「duce」の発音は、IPA表記では/djuːs/となる。IPAのカタカナ読みでは「デュース」となり、日本人が発音するカタカナ英語では「デュース」または「ドゥーチェ」が近い。この単語は発音によって意味や品詞が変わる単語ではない。「duce」の定義を英語で解説
「duce」は、英語で「a leader or commander」つまり「リーダーまたは指揮者」を意味する。特に、イタリアの歴史的背景から、独裁者や指導者を指す言葉として使用されることが多い。「duce」の類語
「duce」の類語としては、「leader」、「commander」、「chief」、「head」などが挙げられる。これらの単語も同様に、ある集団や組織の指導者やリーダーを指す言葉である。「duce」に関連する用語・表現
「duce」に関連する用語としては、「dictator」、「tyrant」、「despot」などがある。これらは独裁者や専制君主を指す言葉であり、「duce」が特定の歴史的背景から独裁者を指す言葉として使用されることと関連している。「duce」の例文
1. He was the duce of the group.(彼はそのグループのリーダーだった。)2. The duce gave orders to his followers.(リーダーは彼の追随者に命令を出した。)
3. Mussolini was known as Il Duce.(ムッソリーニはイル・ドゥーチェとして知られていた。)
4. The duce led his team to victory.(リーダーは彼のチームを勝利に導いた。)
5. He was a duce in his field.(彼はその分野でのリーダーだった。)
6. The duce of the party was a charismatic man.(その党のリーダーはカリスマ的な男性だった。)
7. The duce made a decision for the group.(リーダーはグループのために決定を下した。)
8. The duce was respected by his followers.(リーダーは彼の追随者から尊敬されていた。)
9. The duce had a strong influence on his team.(リーダーは彼のチームに強い影響を与えていた。)
10. The duce's orders were always followed.(リーダーの命令は常に従われていた。)
DUCE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 08:54 UTC 版)
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ドゥーチェ
ドゥーチェ Duce | |
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指導者旗 | |
呼称 | 閣下(Sua Eccellenza) 指導者(Il Duce、DUX) |
官邸 | キージ宮 1925–1929 ヴェネツィア宮 1929–1943 フェルトリネッリ邸 1943–1945 |
指名 | 国家ファシスト党(大評議会) (1925–1943) 共和ファシスト党 (1943–1945) |
任命 | イタリア王国政府 (1925–1943) イタリア社会共和国政府 (1943–1945) |
任期 | 無期限 |
初代就任 | ベニート・ムッソリーニ |
創設 | 1925年12月24日 |
最後 | ベニート・ムッソリーニ |
廃止 | 1945年4月25日 |
ドゥーチェ(イタリア語: Duce)は、イタリア語で国家指導者を指す称号の一つ。日本では統帥、統領、総領、総統、首領、頭領などと訳される。イタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニが使用した事で広く知られている。
語源
語源はラテン語で「指導者」「指揮官」を意味するdux(ドゥクス)で、イタリア語のduca(公爵)やdoge(ドージェ)などと同源である。当時の日本では主に「統帥」と訳されていたが、戦後の研究では「統領」と表記されることが多い。
概要
ドゥーチェ(Duce)の称号は直訳すると「指導者」の意味で、必ずしも国家元首を表す呼称ではない。Duceという称号はイタリア統一戦争(リソルジメント)の際、イタリア三英傑の一人である軍事指導者ジュゼッペ・ガリバルディに対する尊称として広まったと考えられている。ガリバルディ本人が用いた訳ではなく、称号は彼に対する周囲からの非公式的な賛辞に留まっている[1]。
第一次世界大戦において、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は自らを王国のDuce Supremo(統帥者)であると宣言し、全軍への統帥権を改めて表明した。大戦後、詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオがフィウーメを占拠してカルナーロ=イタリア執政府の樹立を宣言すると(フィウーメ事件)、執政府の最高指導者としてDuceの称号を用いた。
イタリア社会党の若手政治家として将来を嘱望されていたベニート・ムッソリーニは、党内外から政治的実力者という意味でDuceと渾名されていた。やがて民族主義の観点から第一次世界大戦参戦を訴えた事により社会党を除名されると、ムッソリーニは軍人に転じて戦場に身を投じた。戦後は民族主義的な全体主義を目指すファシズム(結束主義)を掲げ、退役兵達の政治団体として戦闘者ファッショを結成、後に政党化して国家ファシスト党に再編した。
ローマ進軍で国家ファシスト党が政権を獲得してムッソリーニは首相(閣僚評議会議長)に着任するが、徐々に王家と党を背景にして支配権を強化し、1925年12月24日に独裁体制を確立した。以降、ムッソリーニは通常の首相職とは異なる独裁権を持つ国家指導者として認識され、Duceの称号もムッソリーニを指す称号として定着した。1943年7月25日、ムッソリーニがイタリア王国とファシスト党における全ての役職から解任されるとその称号は実質的に失われた。1943年9月23日、ナチス・ドイツ政権の支援でイタリア社会共和国が建国され、「社会共和国のDuce」(イタリア語: Duce della Repubblica Sociale Italiana)[2]として称号の使用が再開された。
1945年4月25日、社会共和国の崩壊とムッソリーニの死により再び称号は意味を失い、現代ではファシストを想起させる用語として認識されている。
関連項目
出典
- ^ Lucy Riall, "Garibaldi, Invention of a Hero", London, 2007, Ch. 9
- ^ Quartermaine, L. (2000). Mussolini's Last Republic: Propaganda and Politics in the Italian Social Republic. p. 21
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