結城晴朝とは? わかりやすく解説

結城晴朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/03 22:23 UTC 版)

結城 晴朝(ゆうき はるとも)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将戦国大名下総結城氏17代当主。下総国結城城主。


注釈

  1. ^ 山川氏の娘とも。山川晴重のおば。
  2. ^ なお、天正14年(1586年)の春以降、晴朝の病気が重く、8月頃には花押や乗馬も困難な状況であったという[6]
  3. ^ 「乗国寺文書」に残された結城晴朝の書状の文中には「朝光以来不安名字ニ付瑕疵事」「外聞内儀失面目、先祖迄付疵申事」と記され、結城朝光以来の家名存続に対する思い入れの強さを示している[3]
  4. ^ 晴朝死後、寛永3年(1626年)以降は直基も松平姓を称するが、直基の子孫の前橋松平家は家紋は晴朝、秀康以降の結城家のもの(結城、太閤桐)から変えず、結城家の祭祀を継承した。
  5. ^ 茨城県結城市・一部栃木県小山市

出典

  1. ^ 結城晴朝』 - コトバンク
  2. ^ 寛政重修諸家譜
  3. ^ a b c d e 市村高男 著「隠居後の結城晴朝」、渡邊平次郎氏遺稿刊行会 編『現代語版結城御代記』 上、1993年。 /所収:荒川 2012
  4. ^ 小丸俊雄『小田氏十五代―豪族四百年の興亡』 下巻、崙書房〈ふるさと文庫 茨城〉、1979年、72-74頁。 
  5. ^ 市村高男 著「当主の居城と前当主(または継嗣)の居城」、千葉城郭研究会 編『城郭と中世の東国』高志書院、2005年。ISBN 4862150063 
  6. ^ 竹井英文 著「天正十三年・十四年の下野国の政治情勢-関連資料の再検討を通じて-」、佐藤博信 編『中世東国の政治と経済』岩田書院〈中世東国論6〉、2016年、207-208頁。ISBN 978-4-86602-980-1 
  7. ^ 小山市の文化財一覧 ≪国・県指定史跡≫|小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)”. 小山市. 2022年12月27日閲覧。
  8. ^ 『福井県史』通史編|通史編3 近世一|第二章 藩制の成立|第一節 福井藩と小浜藩の成立|二 福井藩の成立|結城晴朝”. 福井県文書館. 2022年12月27日閲覧。
  9. ^ 荒川善夫 2012, 「下総結城氏の動向」.
  10. ^ 竹村到「江戸時代における埋蔵金発掘―結城晴朝の埋蔵金をめぐって―」(日本史史料研究会編『日本史のまめまめしい知識』第2巻、岩田書院、2017年)


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