厚木朝高とは? わかりやすく解説

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厚木朝高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 23:15 UTC 版)

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厚木朝高
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
官位 美濃守(受領名)
主君 芳賀高経後北条氏結城晴朝
氏族 厚木氏芳賀氏
父母 芳賀高義
兄弟 勝広、隆広、朝高
義清
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厚木 朝高(あつぎ ともたか)は、戦国時代武士下野宇都宮氏の家臣芳賀氏の重臣。芳賀氏庶流の芳賀高義の三男。

略歴

主君・芳賀高経宇都宮興綱に叛乱を起こそうとした際に諌めるが説得に失敗。天文5年(1536年)、高経・芳賀高孝壬生綱房らは宇都宮成綱の二男・尚綱を宇都宮氏の当主に据え、興綱を自害に追い込んだ。朝高は居城の下野国厚木城[1]から相模国厚木に出奔し、後北条氏に仕えた。

その後、結城晴朝に従い、結城氏家臣として厚木城に復帰した。

脚注

  1. ^ 現所在地:栃木県真岡市沖。



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