上三川の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:42 UTC 版)
天正14年(1586年)、水谷正村は宇都宮国綱の家臣今泉泰光の上三川城へ攻め込んで来た。国綱は芳賀高氏、長山通兄を大将に今泉泰光(上三川城主)、薬師寺阿岐守、清水大和守、そして時長を伴い水谷正村と対陣した。結城晴朝は勝機無く、中村領の内、寺内、若旅、加倉、粕田、寺分、下大沼、上大沼、柳林、勝瓜、長田、伊勢崎、小橋、大和田、上下西金井、高間木、亀山を宇都宮領とする条件で和睦を申し出、時長は旧領復帰を果たすこととなった。
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