USS Houston (CA-30)とは? わかりやすく解説

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ヒューストン (重巡洋艦)

(USS Houston (CA-30) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 06:54 UTC 版)

ヒューストン (USS Houston, CL/CA-30) は、アメリカ海軍重巡洋艦(一等巡洋艦[6])。ノーザンプトン級重巡洋艦の5番艦[7]。艦名はテキサス州ヒューストンに因み、その名を持つ艦としては2隻目。


注釈

  1. ^ 1933年の訪日時は総員756名[4]
  2. ^ オーストラリア軽巡「パース (HMAS Perth, D29) 」とオランダ駆逐艦「エヴァーツェン (Hr.Ms. Evertsen) 」もともに沈没した。
  3. ^ 太平洋戦争開戦の第17任務部隊指揮官で、空母「ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) 」に将旗を掲げていた。
  4. ^ ルソン島に残っていたハート提督は潜水艦で脱出した[24]
  5. ^ ABDA部隊の最高指揮官は英軍のウェーヴェル陸軍大将で[26][27]、ハート提督がABDA海軍部隊司令官に、和蘭海軍のカレル・ドールマン提督がABDA艦隊司令官に任命された[28]
  6. ^ 巡洋艦4隻(デ・ロイテル、トロンプ、ヒューストン、マーブルヘッド)と護衛の駆逐艦[29]
  7. ^ アメリカ駆逐艦4隻はジャワ島東部のバリ海峡を通過してオーストラリアに脱出した[40]。スラバヤを出発したエクセター部隊(エクセター、エンカウンターポープ)は3月1日の第2次ジャワ海戦で沈没した[41]
  8. ^ 第七戦隊司令官・栗田健男少将直率の重巡「熊野」と「鈴谷」は不在、夜戦に関与せず。
  9. ^ 実際は、日本側の酸素魚雷(おそらく最上が発射したもの)が味方輸送船団に命中した “誤射” であった。

出典

  1. ^ Ship Nicknames”. zuzuray.com. 2015年10月3日閲覧。
  2. ^ Ships' Data, U. S. Naval Vessels”. US Naval Department. pp. 16–23 (1935年7月1日). 2015年10月3日閲覧。
  3. ^ US Cruisers List: Light/Heavy/Antiaircraft Cruisers, Part 1”. Hazegray.org (2000年1月22日). 2015年10月3日閲覧。
  4. ^ a b #S08官房2311号 p.15
  5. ^ Terzibashitsch, Stefan (1984). Cruisers of the US Navy 1922–1962. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-974-X 
  6. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 127(原本236-237頁)一等巡洋艦ヒューストン
  7. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 56a-57ノーザンプトン級重巡洋艦/対日戦で半数が戦没したペンサコラ級の改良型
  8. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 45.
  9. ^ a b 昭和8年06月06日(火)官報第1927号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ7(原本140)
  10. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 59.
  11. ^ a b ニミッツ 1962, pp. 27–31連合軍の退却始まる
  12. ^ a b ニミッツ 1962, pp. 39a-40ジャヴァから退却
  13. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 110(原本202-203頁)一等巡洋艦ヒューストン
  14. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 133(原本248-249頁)一等巡洋艦ヒューストンの中部
  15. ^ #S08官房2311号 p.16(主要職員略歴、米國亜細亜艦隊司令長官テイラー大将)
  16. ^ a b #S08官房2311号 p.18〔 主要職員略歴、米國亜細亜艦隊参謀長フレッチャー大佐 Captain fletcher(Frank Jack)U.S.N/明治十八年四月二十九日 「アイオワ」州ニ生ル/明治三十五年九月二十六日 同州ヨリ海軍ニ入ル/昭和五年六月五日 海軍大佐 海軍大學校教官、コルラト副長等ヲ經テ昭和六年八月現職ニ補セラル 〕
  17. ^ #S08官房2311号 p.17(経歴、ヒューストン艦長バガレー大佐)
  18. ^ #S08官房2311号 p.7(横鎮電話)、同資料 pp.13-14(米國亜細亜艦隊旗艦ヒューストン東京方面交歡豫定 B案(昭和八、五、二六略定) )
  19. ^ 昭和8年 海軍公報 上巻(防衛省防衛研究所)6月(1)、海軍公報第1890号 昭和8年6月2日」 アジア歴史資料センター Ref.C12070337200  p.10
  20. ^ #S08官房2311号 p.8(昭和8年6月10日)〔 兵庫縣知事 大臣 米國軍艦ヒユーストン本朝八時四十五分入港ス 〕、p.9(昭和8年6月14日)〔 神戸首席監督官 次官 軍令部部長 電報 「ヒユーストン」午前二時青島ニ向ケ發 〕
  21. ^ #S08官房4003号 p.6(昭和8年11月20日)〔 横濱税關長 大臣 電報 米國軍艦ヒューストン號入港ス。〕
  22. ^ ニミッツ 1962, pp. 14–16米国の準備
  23. ^ ニミッツ 1962, p. 28.
  24. ^ ニミッツ 1962, p. 31.
  25. ^ 一式陸攻戦史 2019, pp. 148–150ABDA艦隊、編成さる
  26. ^ ニミッツ 1962, p. 32.
  27. ^ グレンフェル 2008, p. 129.
  28. ^ グレンフェル 2008, p. 130.
  29. ^ ニミッツ 1962, p. 34.
  30. ^ 一式陸攻戦史 2019, pp. 150–152ジャワ沖海戦の奇妙な勝利?
  31. ^ a b 一式陸攻戦史 2019, p. 152.
  32. ^ a b ニミッツ 1962, p. 35.
  33. ^ a b The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II--1942”. www.ibiblio.org. 2024年3月25日閲覧。
  34. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、348ページ
  35. ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、362-363ページ
  36. ^ ニミッツ 1962, pp. 36–39ジャヴァ海海戦
  37. ^ a b c グレンフェル 2008, p. 131.
  38. ^ ニミッツ 1962, p. 38.
  39. ^ a b グレンフェル 2008, p. 132.
  40. ^ a b c d ニミッツ 1962, p. 39b.
  41. ^ グレンフェル 2008, p. 134.
  42. ^ グレンフェル 2008, p. 133.
  43. ^ ニミッツ 1962, p. 40.
  44. ^ a b 中名生正己「アメリカ巡洋艦はいかに戦ったか」『アメリカ巡洋艦史』153ページ
  45. ^ 宮崎 1990, p. 35.
  46. ^ a b 中名生正己「アメリカ巡洋艦はいかに戦ったか」『アメリカ巡洋艦史』154ページ
  47. ^ The POW Camps · Cruiser Houston · University of Houston Libraries Exhibits”. ヒューストン大学図書館. 2019年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月16日閲覧。
  48. ^ Details of groups moved into Death Railway and death statistics”. www.mansell.com. 2024年3月25日閲覧。
  49. ^ 中名生正己「アメリカ巡洋艦はいかに戦ったか」『アメリカ巡洋艦史』157ページ


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