東京都第1区 (中選挙区)
(Tokyo 1st district (1947–1993) から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 01:04 UTC 版)
東京都第1区(とうきょうとだい1く)は、かつて存在した衆議院の選挙区。1947年の第23回衆議院議員総選挙から設置された。廃止時の定数は3。1964年の公職選挙法改正により、同区の一部は新設された東京都第8区として分区され、その際に定数は4から3へと変更された[1]。1994年の公職選挙法改正によって廃止され、旧東京1区地域は現在の衆議院小選挙区で東京都第1区にそのまま移行された。
- ^ 実質的には8区の定数3と合わせ、2人増。8区は1992年の同法改正で定数2へ1人削減された。
- ^ 例えば、千代田区では2000年のデータとして昼間人口855,172人、夜間人口36,035人(昼間が夜間の23.7倍)という調査結果が同区のホームページで紹介されている [1]。
- ^ この要求は東京都議会での定数是正問題でより強かったが、実現しなかった。
- ^ 例えば、浅沼の自宅は東京都江東区にあり、飛鳥田は地盤の横浜から移動しての立候補となった。
- ^ 保守唯一の当選者は民主党の櫻内義雄。櫻内は第24回選挙で落選し、その後参議院の島根県選挙区、さらに衆議院の島根県全県区に転じた。
- ^ その後、参議院の東京都選挙区で当選。
- ^ 同党は第27回の宮本顕治をはじめ、細川嘉六や聴濤克巳などの党内有力者を擁立したが、当選ラインには遠かった。
- ^ 2人とも衆議院議員在職中に死去。
- ^ 浅沼は最下位当選(4位)。また、六全協で武装闘争路線の放棄を決定する直前の共産党から出馬した宮本は、主要政党の立候補者7人中の最下位(総数では14人中7位)。逆に、1958年の第28回総選挙では社会党書記長(ナンバー2)の浅沼(2位)が首相退任後の鳩山(4位)を抑えたが、トップ当選は安藤の死去後に自民党新人の田中に譲った。
- ^ トップ当選は初代東京都知事だった自民党新人の安井誠一郎。
- ^ 原は分区後の東京8区に移ったが落選し、引退。
- ^ その後、夫・一郎の地盤である兵庫県選出の参議院議員に転進。
- ^ その後、同党は弁護士の平山知子や、後に参議院議員になる筆坂秀世を擁立したが、当選は出来なかった。
- ^ その後、小選挙区制になってから、2010年代に掛けて都心回帰で人口増に転じている。
- ^ 飛鳥田は横浜市長を辞任して中央政界に戻ったため、かつての地盤の神奈川1区からの出馬が困難だった。なお、このあおりを受けて加藤清政は参議院議員選挙に東京都選挙区から出馬するが落選、その後千代田区長となる。
- ^ この際、「俺が苦戦するのもしょうがねえや、ろくに地元にいねえんだもんな」という飛鳥田の言葉が報じられている。
- ^ 佐々木は第39回総選挙で北海道2区から当選した。1986年の第38回総選挙で同党公認だった元参議院議員・東京都知事選候補の和田静夫も、同選挙で埼玉1区で当選した。
- ^ 赤尾は戦時中の1942年・第21回総選挙で旧東京6区から当選1回、平井は1948年から1960年まで福岡4区から通算5回当選している。小田も戦前の一時期、沖縄県選出の衆議院議員だった。
- ^ “衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第046回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法の一部を改正する法律 法律第百三十二号(昭三九・七・二)”. 衆議院 (1964年7月2日). 2022年1月22日閲覧。地名は1964年(昭和39年)当時のものである。
- ^ “衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第007回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法 法律第百号(昭二五・四・一五)”. 衆議院 (1950年4月15日). 2022年1月22日閲覧。地名は1950年(昭和25年)当時のものである。
- 1 東京都第1区 (中選挙区)とは
- 2 東京都第1区 (中選挙区)の概要
- 3 選出議員
- 4 選挙結果
- 5 備考
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