古田武彦とは? わかりやすく解説

古田武彦

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/22 02:05 UTC 版)

古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年大正15年)8月8日 - 2015年(平成27年)10月14日[1])は、日本思想史学者・古代史家。元昭和薬科大学教授。専門は親鸞等の日本中世思想史。


注釈

  1. ^ 1947年10月1日に東北帝国大学は、東北大学に改称されたため
  2. ^ 古田の処女作である『「邪馬台国」はなかった』も朝日新聞社からの出版である。
  3. ^ 安本美典は古田武彦を「具体的、実証的次元での論議が可能であると思われる」と評価したことがあるが、見解を改め、一連の著作(『「邪馬一国」はなかった』、『虚妄の九州王朝』などの著作、及び雑誌『季刊 邪馬台国』他)で古田説を批判している。
  4. ^ 近年、古田武彦は『学士会報』No857 2006-II所収「九州王朝の史料批判」において「これに対する学会の応答欠乏し」と述べている。
  5. ^ 古田説、『東日流外三郡誌』に関する著作、論考(『幻想の多元的古代 万世一系イデオロギーの超克』(批評社、2000年)、(原正寿・安本美典との共著)『日本史が危ない! 偽書「東日流外三郡誌」の正体』(全貌社、1999年)等)を発表している原田実は、1991年-1993年に昭和薬科大学文化史研究室で助手を務めた。
  6. ^ 古田から離れた会員には、東北・関東・北陸の会員が含まれる。
  7. ^ この流れの人々は邪馬台国畿内大和説の研究家として知られる白崎昭一郎の『古代日本海文化』と合流し、季刊『古代史の海』を刊行している。
  8. ^ なお、本書刊行前に古田は「寛政原本」の放射性炭素年代測定を行ったと主張していたが、それについての記述は無い。
  9. ^ 復刊に際しての加筆で読者に『国記』と『天皇記』の探索を呼び掛けている。
  10. ^ 『三国志(魏志倭人伝)』の版本(宋 (王朝)以後のもの)は「邪馬壹國」または「邪馬一國」。『三国志』より後の5世紀に成立した『後漢書』倭伝では「邪馬臺国」。7世紀の『梁書』倭伝では「祁馬臺国」、7世紀の『隋書』では「魏志にいう邪馬臺(都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也)」となっている。書写の段階あるいは版本にする際に誤写・誤刻があったと考えるのが通説。
  11. ^ 通説はアメリカ独立宣言からの翻案とするもの。慶應義塾豆百科』 No.22 考証・天は人の上に人を造らず……を参照。
  12. ^ 田中卓は古田の説を批判しつつ、好太王碑改竄否定説や神武天皇実在説、神武東征出発地北九州説を評価している。『「邪馬台国」徹底論争―邪馬壱国問題を起点として〈第2巻 考古学、総合編〉 』三唱。
  13. ^ 「つくる会」賛同者 全賛同者309名(平成16年11月19日現在)。肩書きは「産能大学元教授」。現在は不明。『日本人の歴史教科書』(自由社)推薦人名簿(『史』平成21年9月号(通巻76号))には無い。
  14. ^ 『古代に真実を求めて』第十五集によると、路上でも反韓主義者と罵倒されていた、という。

出典

  1. ^ a b 訃報:古田武彦さん89歳=古代史研究家 Archived 2015年10月15日, at the Wayback Machine. - 毎日新聞2015年10月15日
  2. ^ 東方史学会好太王碑訪中団の報告
  3. ^ 豅弘信「「三夢記」考」『宗教研究』第84巻第3号、2010年、707-732頁、doi:10.20716/rsjars.84.3_707 
  4. ^ 『真実の東北王朝』(駸々堂出版、1990年) 第4、5、6章
  5. ^ 安本美典、谷川健一(他)『東日流外三郡誌「偽書」の証明』(廣済堂出版、1993年)、斉藤光政『偽書「東日流外三郡史」事件』(新人物往来社、2009年)等参照。
  6. ^ 『新・古代学』(新泉社、1995年)
  7. ^ 『東日流[内・外]三郡誌』(オンブック、2008年)
  8. ^ コンテンツワークス株式会社のプレスリリース(2008年7月24日)[1]には「国際日本文化研究センターの笠谷和比古教授による鑑定文を収録。寛政原本が、江戸時代に作成された文献であることが証明されています。」と記されている。
  9. ^ 参考[2]
  10. ^ 「寛政原本」の正体―『東日流外三郡誌』擁護論の自爆―
  11. ^ 『と学会年鑑AQUA』(楽工社、2008年)
  12. ^ 参考(「寛政原本」公表以前の筆跡比較)[3][4]
  13. ^ 考古学のこうじ
  14. ^ 『なかった 真実の歴史学』第六集
  15. ^ 古田武彦『盗まれた神話』参照。
  16. ^ 古田史学会報八号「古田史学の会のために」
  17. ^ 『新・古代学 第4集』(新泉社刊 1999)参照。古田史学会報には「森嶋氏は古代史は素人であるが、古田説には関心をもたれ、だいたいに於いて古田説に賛成である。限られた資料からロジカルに結論を出す。文献から結論を出す方法として、完璧で論理的である。と述べられた。」とある。古田史学会報 30号
  18. ^ 古田史学会報77号 2006年12月8日
  19. ^ 平山洋氏の仕事』の「2007年02月19日到着 安川寿之輔氏からの手紙」を参照。
  20. ^ 原田実 (2007年1月). “捏造された福沢諭吉像―今も進行する『東日流外三郡誌』汚染―”. 原田 実の幻想研究室. 2015年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月20日閲覧。
  21. ^ 安川寿之輔 (2007年2月). “『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』「天は人の上に人を造らず・・・」の出典について” (PDF). 高文研. 2011年4月10日閲覧。
  22. ^ 原田実 2020, p. 245.
  23. ^ 原田実 2020, p. 59.
  24. ^ 原田実 2020, p. 264.
  25. ^ 石井公成 「【珍説奇説】九州王朝説論者が『勝鬘経』も『法華義疏』も読まずに「石井公成氏に問う」などと力んだトンデモ聖徳太子論[5]」(聖徳太子研究の最前線、2022年5月11日、2023年5月20日閲覧)
  26. ^ 「邪馬壹国の証明」(『文化評論』228号(1980年4月))。安本美典は「「邪馬壱国」論の崩壊」(『文化評論』230号(1980年6月))を執筆した。
  27. ^ 古田武彦(他)『シンポジウム 邪馬壹国から九州王朝へ』(新泉社、1987年)「好太王碑に現れる倭とは何か 藤田友治」
  28. ^ 『こんな教科書で学びたい 新しい日本の歴史』(教科書改善の会の教科書の市販版)参照
  29. ^ a b 「日の丸」と「君が代」の歴史と自然認識について
  30. ^ a b 靖国参拝の本質
  31. ^ 古田・安川対談について
  32. ^ 『学士会報』No857 2006-II所収「九州王朝の史料批判」
  33. ^ 「対談 夢は地球をかけめぐる 小松左京さんと語る」(『邪馬一国への道標』角川文庫版、巻末)
  34. ^ 「神津恭介氏への挑戦状『邪馬台国の秘密』をめぐって」(古田武彦『「邪馬壹国」の論理』(朝日新聞社、1975年))
  35. ^ 高木彬光『邪馬壱国の非論理』(私家版、1977年)、高木彬光『邪馬壹国の陰謀』(日本文華社、1978年)


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