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志賀能郷

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/24 23:47 UTC 版)

 
志賀 能郷
時代 鎌倉時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 豊前八郎、信寂
幕府 鎌倉幕府
氏族 大友氏→志賀氏
父母 父:大友能直、母:深妙
兄弟 親秀、詫摩能秀、時直、元吉有直、親直、禅能、朝直、一萬田時景、鷲尾秀直、志賀能郷、豊前能基、田原泰広
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志賀 能郷(しが よしさと)は、鎌倉時代武士。志賀氏の始祖。通称は豊前八郎。法名は信寂。

経歴

大友能直の八男として生まれる。母親は能直の妻・深妙(畠山重能の娘)[1]

貞応2年(1223年11月27日に、父親が53歳で死去し、豊後国勝津留などの所領・所職(地頭職)を譲られる[1]

延応2年(1240年)に、母から豊後国大野荘志賀村の南方地頭職を譲られ、志賀氏を始める[1]

系譜

志賀能郷以降、志賀氏と大友氏は、文永11年(1274年)の元寇を機に、豊後国に戻り、ともに九州での勢力を拡大した[1][2]。大友氏はその後、豊後・筑後国など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前肥前肥後筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有する[2]

出典

  1. ^ a b c d 上田 正昭『日本人名大辞典講談社、2001年、志賀能郷頁。ISBN 4-06-210800-3OCLC 834665660https://www.worldcat.org/oclc/834665660 
  2. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、2001年、大友氏頁。 ISBN 4-09-526001-7OCLC 14970117https://www.worldcat.org/oclc/14970117 



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