三共レッドソックス
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 21:07 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動三共レッドソックス(さんきょうレッドソックス、Sankyo Redsox)は、1950年から日本女子野球連盟に参入した日本の女子プロ野球球団。
三共レッドソックス | |||||
創設 | 1950年 | ||||
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所属リーグ | |||||
歴代チーム名 | |||||
本拠地 | |||||
永久欠番 | |||||
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獲得タイトル | |||||
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成績(タイトル以外) | |||||
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球団組織 | |||||
運営母体 | 三共 | ||||
監督 | 岡田源三郎 他 | ||||
球団の歴史
1950年、関浦信一を代表とした「レッドソックス」として発足し、同年3月に、製薬会社の三共(現:第一三共)をスポンサーに付け「三共レッドソックス」と改名した。1952年11月、日本女子野球連盟がノンプロ化すると、レッドソックスもノンプロに組織転換を行い、「三共女子野球部」となった。三共女子野球部は1970年11月まで活動を行い、解散した。
所属選手
- 中村桂子:投手。小柄ながら速球とカーブを武器にエースとして長年三共投手陣を支え、主将も務めた。大和田の入団後はエースの座を譲ったものの、チームの顔として投げ続けた。
- 瀬川はま子
- 関淑子:内野手・捕手。「ミス女子プロ野球」と呼ばれる美貌で人気を集めた。
- 増田英子
- 渋谷喜代子:強肩の外野手。トップバッターとして活躍した。
- 北條零子:俊足好守の外野手として、草創期の主将を務めた。
- 大和田恵美子:投手。身長172cmと恵まれた体格を活かして、攻守に活躍した[1]。1957年新人王。1958年から1961年まで4年連続で最優秀投手。1961年・1962年最高殊勲選手、1965年首位打者。秦孝子の引退後は助監督も務めた。
- 秦孝子:捕手・外野手。北海道夕張出身。助監督も務めた。
- 池淵富子:投手。三共最後のエース。三共女子野球部が解散すると野球を引退し、女子プロゴルフに転向。1985年の富士通レディースなど、ツアー通算8勝を挙げた。
チーム成績・記録
日本選手権優勝:5回(1958年 - 1962年)
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出演映画
脚注
- ^ 寺山修司「君泣くや母となりても」、『スポーツ版裏町人生』所収、角川書店、1992年6月改訂再版、P136。
関連項目
- 三共レッドソックスのページへのリンク