ソーマ【Rabban Bar Sauma】
ラッバーン・バール・サウマ
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ラッバーン・バール・サウマ(シリア語:ܪܒܢ ܒܪ ܨܘܡܐ, Rabban Bar Sauma, 1220年代[1][注 1] - 1294年1月10日)は、13世紀のウイグル[2](もしくはオングト[3])出身のネストリウス派キリスト教(景教)の僧侶。モンゴル人の国家であるイルハン朝の外交使節として、ヨーロッパに派遣された。漢文史料では拉賓掃務瑪と表記される。
注釈
- ^ 吉田寅「ソウマ(バルソウマ)」『キリスト教人名辞典』、825頁 では1225年生。
- ^ クン・ブカはグユク・ハーンの娘婿(キュレゲン)、アイ・ブカはクビライ・ハーンの娘婿にあたる。(那谷『十三世紀の西方見聞録』、67頁)
- ^ サウマはイルハン朝からヨーロッパに派遣された最初の人物ではない。サウマの派遣に先立つ1285年に別のネストリウス派の僧侶イーサ(en:Isa Kelemechi)がローマ教皇への使者として派遣されていた。(佐口『モンゴル帝国と西洋』181-183頁、The Mongols and the West, 1221-1410 Peter Jackson 169頁、The Cambridge history of Iran William Bayne Fisher, John Andrew Boyle 370頁)
- ^ ローマ教皇ニコラウス4世からサバディンに送られた書簡では、「アルクン(モンゴル人がネストリウス派キリスト教徒を指して呼ぶエルケウン(也里可温)の語に由来する)」の名前で呼ばれている。(佐口『モンゴル帝国と西洋』、194頁およびC.M.ドーソン『モンゴル帝国史』5巻(佐口透訳注、東洋文庫、平凡社、1976年12月)、249頁)
- ^ 磔刑にされたイエス・キリストが被せられた茨の冠、聖十字架の破片から作った木製の十字架。
- ^ トスクルムのヨハネ(もしくはエルサレムのジョン)。彼はハプスブルク家のルドルフ1世の戴冠式の準備のため、ドイツを訪れていた。(佐口『モンゴル帝国と西洋』、190頁および那谷『十三世紀の西方見聞録』、142頁)
出典
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、59頁
- ^ a b c 那谷『十三世紀の西方見聞録』、60頁
- ^ 佐口『モンゴル帝国と西洋』、183頁
- ^ Moule, A. C., Christians in China before 1500, 94 & 103; also Pelliot, Paul in T'oung-pao 15(1914), 630-636頁
- ^ a b 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、242頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、60-61頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、61頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、62-64頁
- ^ a b 村上「ソーマ」『アジア歴史事典』5巻、395頁
- ^ a b 森川「バール・サウマ」『シルクロード事典』、412-414頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、66頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、244-245頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、69頁
- ^ a b c 佐口『モンゴル帝国と西洋』、185頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、70-71頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、248頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、71-72頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、72-73頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、73頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、75頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、76頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、76-77頁
- ^ a b 那谷『十三世紀の西方見聞録』、80頁
- ^ 佐口『モンゴル帝国と西洋』、185頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、80-81頁
- ^ 佐口『モンゴル帝国と西洋』、186頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、81頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、95頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、253頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、96-97頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、100頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、101頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、254頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、102頁
- ^ a b 佐口『モンゴル帝国と西洋』、194頁
- ^ a b Phillips、102頁
- ^ Grousset, 845頁
- ^ Rossabi, 103-104頁
- ^ 佐口『モンゴル帝国と西洋』、192頁
- ^ a b 佐口『モンゴル帝国と西洋』、187頁
- ^ a b 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、255頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、112頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、113頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、256-258頁
- ^ 佐口『モンゴル帝国と西洋』、187-188頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、120-124頁
- ^ a b c 佐口『モンゴル帝国と西洋』、188頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、259頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、259頁
- ^ a b 佐口『モンゴル帝国と西洋』、189頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、141頁
- ^ a b 佐口『モンゴル帝国と西洋』、190頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、142頁
- ^ a b 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、263頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、143頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、146頁
- ^ a b c 佐口『モンゴル帝国と西洋』、191頁
- ^ a b 那谷『十三世紀の西方見聞録』、147頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、148頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、155頁
- ^ 那谷『十三世紀の西方見聞録』、157頁
- ^ 佐口『モンゴル帝国と西洋』、217頁
- ^ 佐口『モンゴル帝国と西洋』、218頁
- ^ a b 佐口『モンゴル帝国と西洋』、184頁
- ^ a b c d e 那谷『十三世紀の西方見聞録』、254頁
- ^ 佐口『モンゴル帝国と西洋』、194-195頁
- ^ 杉山『モンゴル帝国と長いその後』、241,260,264頁
- 1 ラッバーン・バール・サウマとは
- 2 ラッバーン・バール・サウマの概要
- 3 伝記
- 4 参考文献
- 5 外部リンク
「Rabban Bar Sauma」の例文・使い方・用例・文例
- バンクーバー― マレーシアに拠点を置くBaronホテルグループはHoward Hotels Internationalを買収する交渉を行っている。
- Baronは、アジアの主要都市に100 を超えるホテルを構える、ビジネスホテルの巨大企業で、高級ホテル市場への進出を目指している。
- Baronが企業買収に成功すれば、同社は、名声を確立したHoward Hotelsブランドやその豪華なおもてなしのノウハウを手に入れることになる。
- 買収がうまくいけば、BaronはHoward Hotelsの株式の65%を所有することになる。
- 11月21日にHolyoke Bar and Grillで、Pete Laurenの退職パーティーが開かれることをお知らせします。11 月10 日までにお返事をください。
- 疑いなく、彼の最も恐ろしい部分は鉄の鈎爪だった−J.M.Barrie
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