RTVE社長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/28 05:53 UTC 版)
「アドルフォ・スアレス」の記事における「RTVE社長」の解説
1969年にRTVEの社長に就任する。RTVEの監督官庁である情報観光省の大臣であったアルフレド・サンチェス・ベジャと折り合いが悪く、当時、国民運動事務総長であったトルクアト・フェルナンデス・ミランダに度々相談を持ちかけていた。トルクアト・フェルナンデス・ミランダはフアン・カルロスの家庭教師を務めた人物で、フアン・カルロスの忠臣と言える存在であった。スアレスはRTVEの社長として、フランシスコ・フランコの後継者に指名されたフアン・カルロスの宣伝放送を多く流し、フアン・カルロスはスアレスのこのような行動を好意的に捉えていた。スアレスは1971年に再び家族代表議員選挙にアビラ県から出馬し、再選を果たす。前回の選挙では15人いた立候補者が、今回の選挙ではスアレスを含めて2人しか立候補せず、無風選挙であった。
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