PDP-10ファミリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:47 UTC 版)
「ディジタル・イクイップメント・コーポレーション」の記事における「PDP-10ファミリ」の解説
詳細は「PDP-10」を参照 PDP-5の系統で低価格路線をとったころ、DECは1963年、36ビットのPDP-6でメインフレーム市場に参入した。しかし、IBMやハネウェルといったメインフレームメーカーの同様のマシンとの差別化ができず、約30万ドルという低価格だったが販売は苦戦した。PDP-6は約20台しか売れなかった。あまり売れなかったため、PDP-6の改良版は開発されなかった。しかし歴史的には初期のタイムシェアリングOSである "Monitor" が導入されたプラットフォームとして重要であり、それが後のTOPS-10へと発展した。 PDP-6は商業的にはあまり成功しなかったが、商業的にも価値のある様々な機能がそこから生まれた。フリップチップによる再実装でPDP-6のコストを大幅に低減できるようになると、DECは1968年、PDP-10で36ビット市場に再び参入した。PDP-10は大いに成功し、1984年に生産終了となるまでに約700台を売り上げた。PDP-10は特に大学でよく採用され、1970年代のOSなどの発展に寄与した。DECは後に36ビットの全機種を "DECsystem-10" というブランド名にし、CPUの型番(例えば "KA10")で機種を示すようになった。さらに仮想記憶を実装したTOPS-20を搭載したシステムを "DECSYSTEM-20" と称した。
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