PANとPRDの拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 02:47 UTC 版)
「制度的革命党」の記事における「PANとPRDの拡大」の解説
1980年代半ば以降、政策の矛盾、党内の腐敗の深刻化、制度的革命党は左右両翼の反対勢力から挑戦を受け、その支配体制は徐々に揺らぎ始める。北部一帯では、右派野党の国民行動党 (PAN) の勢力が拡大し、一方で従来四分五裂していた左翼政党(一部は制度的革命党の支配体制に組み込まれていた)も、大同団結によって民主革命党(PRD)となり、支持率を拡大していった。 1987年、前ミチョアカン州知事であったクアウテモク・カルデナスがカルロス・サリナス・デ・ゴルタリとの大統領候補指名争いに敗れて離党したことで、制度的革命党の支配体制の揺らぎは決定的なものとなる。カルデナスは、メキシコ史上もっとも尊敬される大統領の1人ラサロ・カルデナスの息子であり、党内左派の中心人物であった。 カルデナスと行動を共にして離党した党内左派グループと左翼政党を糾合して1988年の大統領選挙に臨み、実際の得票では制度的革命党のサリナス候補を上回ったのではないかと言われているが、大規模な選挙不正によってサリナス候補が当選、制度的革命党の支配体制はかろうじて維持された。
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