Megaraとは? わかりやすく解説

メガラー

別表記:メガラ
英語:megara

(1)古代ギリシャにおけるポリス一つ
(2)ギリシャ神話において、のちのテーバイ王であるクレオン(Kreon)の娘にしてヘラクレス(Heracles)の妻となった女性ヘラHera)の企てにより狂ったヘラクレス子供殺され悲しみのあまり自殺した

Megara

名前 メガラ

メガラ

(Megara から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:17 UTC 版)

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メガラ
Μέγαρα
所在地
メガラ
座標 北緯38度0分 東経23度20分 / 北緯38.000度 東経23.333度 / 38.000; 23.333座標: 北緯38度0分 東経23度20分 / 北緯38.000度 東経23.333度 / 38.000; 23.333
域内の位置
行政
国: ギリシャ
地方: アッティカ
: 西アッティカ県
人口統計 (2001年)
ディモス
 - 人口: 35,675 人
 - 面積: 330.3 km2
 - 人口密度: 108 人/km2
旧自治体
 - 人口: 28,195 人
 - 面積: 322.2 km2
 - 人口密度: 88 人/km2
その他
標準時: EET/EEST (UTC+2/3)

メガラΜέγαρα / Mégara)は、古代ギリシャアッティカ西部・メガリスにあった都市国家。メガラーとも表記される。メガラ人が築いた植民市の中には、ビュザンティオン(現在のイスタンブール)がある。

現代のメガラΜέγαρα / Mégara)は、ギリシャ共和国アッティカ地方にある都市・基礎自治体(ディモス)の名でもある。

地理

位置・広がり

メガラは西アッティカ県の南西部に所在し、アテネから西北西へ約42kmの距離に位置する。コリントス地峡北東部のサロニコス湾側(南岸)、メガリス平野 (Megaris南部に所在し、サロニコス湾にほど近い。とくにメガラ前面の南の海をメガラ湾ともいう。古代のメガラは一時期サラミス島を支配したが、アテネ(アテナイ)とはサラミス島を挟んで反対側に位置する。

自治体としてのメガラ市の領域は、コリントス地峡を形作る海の双方(南東のサロニコス湾、北西のコリンティアコス湾)に面している。

地勢

メガリス平野 (Megarisが広がる。

主要な都市・集落

人口1000人以上の都市・集落には以下がある(人口はいずれも2001年国勢調査)。

  • メガラ(メガラ地区) - 23,032人
  • ネア・ペラモス英語版(ネア・ペラモス地区) - 7,480人
  • キネタ英語版(メガラ地区) - 1,972人

歴史

古代

メガラの遺跡から出土した金細工品

歴史時代の初期、メガラはコリントスの属領であった。メガラからの植民者たちは、シチリア島シュラクサイの北にメガラ・ヒュブラエア(現在のシラクーザ県アウグスタ)という都市を築いた。メガラ人たちはコリントスからの独立戦争を戦い、紀元前685年頃にはカルケドン紀元前667年頃にはビュザンティオンを建設した。

紀元前7世紀の終わり、テアゲネス (Theagenes of Megaraはメガラの僭主となった。テアゲネスは、富裕者の家畜を屠殺することによって貧困層の支持を得たという。ペルシャの第二次侵攻(ペルシャ戦争)において、メガラはアテナイやスパルタと同じ陣営につき、サラミスの海戦プラタイアの戦いなどの重要な戦闘に従った。

紀元前460年ごろ、スパルタが牛耳るペロポネソス同盟からメガラは離反するが、このことは第一次ペロポネソス戦争紀元前460年 - 紀元前445年)のきっかけとなった。「30年不戦条約」(紀元前446年あるいは紀元前445年)を契機として、メガラはペロポネソス同盟に復帰した。ペロポネソス戦争紀元前431年 - 紀元前404年)では、メガラはスパルタの同盟者であった。メガラとアテナイの経済を巡るいくつかのできごと(アテナイが支配下の領域でメガラ人の商業活動を禁じたことなど)は、ペロポネソス戦争の原因の一つと考えられている。

メガラは貿易の拠点でもあり、地元住民は船を利用したり、近隣のポリスへの武器提供を行っていた。メガラにある2つの港のうち、西側のペガイはコリンティアコス湾にあり、東側のニサイアはエーゲ海のサロニコス湾にあった。

古代メガラの植民市

メガラ人の築いた植民市には、以下のようなものがある。

現代

農業地帯であったが、1960年代から1970年代にかけて住宅地の開発が進んだ。

行政区画

基礎自治体(ディモス)

メガラ市Δήμος Μεγαρέων)は、西アッティカ県に属する基礎自治体ディモス)の一つである。

現在のメガラ市は、カリクラティス改革(2011年1月施行)にともない、旧メガラ市とネア・ペラモス市が合併して発足した。旧自治体は、新自治体を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。なお、カリクラティス改革以前の旧メガラ市は、アッティカ地方最大の面積を持つ自治体であった。

下表の番号は、下に掲げた「旧自治体」地図の番号に相当する。面積の単位はkm²、人口は2001年国勢調査時点。

旧自治体名 綴り 政庁所在地 面積 人口
8 メガラ Μέγαρα メガラ 322.2 28,195
9 ネア・ペラモス英語版 Νέα Πέραμος ネア・ペラモス 7.9 7,480

交通

アテネとペロポネソス半島を結ぶ交通路が市内を通過している。

文化・観光

ギリシア神話の中のメガラ

ギリシャ神話によれば、アテーナイ王パンディーオーンは、内乱が発生した際にメガラーに亡命した。メガラー王ピュラースの娘ピュリアーと結婚し、のちにピュラースから国を譲られてメガラーを支配した。パンディーオンはメガラーで没したが、その後パンディーオンの4人の息子たち(アイゲウスパラースニーソス英語版リュコス)がアテーナイを奪回し、アッティカを4人で分割した。メガラーを支配することになったのはニーソス(ニューソスとも)である。ニーソスには3人の娘がおり、長女エウリュノメーは海神ポセイドーンとの間に英雄ベレロポーンを生んだとされる。次女イーピノエーはメガレウス (Megareus of Onchestusの妻となった。

クレータの王ミーノースがアテーナイとメガラに戦争を仕掛けたとき、ニーソスの末娘のスキュラは、敵将のミーノース王に恋をし、父と祖国を裏切ったものの、その行為を嫌悪したミーノースは彼女を拒絶したと伝えられている。

人物

脚注

外部リンク



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