松平清康とは? わかりやすく解説

松平清康

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 17:39 UTC 版)

松平 清康(まつだいら きよやす)は、戦国時代武将。安祥松平家の3代当主。2代当主・松平信忠の子。三河国安祥城城主および岡崎城主。安祥松平家は清康の代に岡崎を征服し、武力により一族・重臣の掌握を急速に進め西三河を支配下においた。徳川家康の祖父にあたる。


注釈

  1. ^ 三河物語』では、「案(安)祥之三郎殿」という呼称で登場する。
  2. ^ 三河における吉良氏の権威性によるものであり、清康の子・広忠も持清の子・持広の援助を受けて一字を賜っている。清康の父・信忠も吉良義信から偏諱を受けたとする説[1]や、更にそれに加えて今川義元が清康の孫に偏諱を与えて元信(のち元康)と名乗らせたのは吉良氏(当時の当主は吉良義安か)が三河守護として、国人の一つである松平氏の歴代当主に偏諱を与えてきた権威を否定する目的があったとする説[2]も出されている。
  3. ^ 現存する発給文書で確認できる名称は「清孝」名義のみしかないため、実名を「清孝」で通して実証が出来ない「清康」名義を避ける著作[3]もあるが、現時点では「清康」への改名時期は不明と判断して、実際の改名の有無やその時期については今後の研究の進展を待つべきとする考えもある[4]。また、清康の岡崎城入りを平和的な養子縁組によるものとする村岡幹生は松平昌安の婿養子になったのを期に改名したとしている[5]
  4. ^ 村岡説は「松平一門・家臣奉加帳写」と矛盾する大永3年の信忠の隠居が成立しがたい一方で、信忠の嫡男である清康の安城松平家継承の事実も動かしがたいことを指摘し、遅くても享禄4年の信忠の死去によって内紛は解消されたとしている。
  5. ^ 「孝」と「康」は音読みにすると同じ“コウ”と読む。
  6. ^ 清康の吉田城攻めを宇利城攻め直後とする説もあり、またこの時降伏した吉田の牧野氏を天文元年(1532年)再度攻めて滅ぼした。
  7. ^ 江戸初期の著作である『三河物語』では清康が熊谷実長が城へ押し寄せた際に、四方鉄砲を打ち込むと記載されている。享禄3年(1530年)のこととされる。鉄砲伝来は1543年であり、『鉄砲記』の記述とも矛盾する。
  8. ^ 改正三河後風土記では「千子村正の刀」と言及されている[19]
  9. ^ 三河物語では清康殺害時の記述に「センゴの刀にて」という一文がある[20]

出典

  1. ^ 北村和宏「三河吉良氏の断絶と再興」『吉良上野介義央・義周』 義周没後三〇〇年記念事業実行委員会、2006年。
  2. ^ 小林輝久彦「天文・弘治年間の三河吉良氏」12号、2012年。 /所収:大石泰史 編『今川義元』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二七巻〉、2019年6月。ISBN 978-4-86403-325-1 
  3. ^ 丸島和洋『東日本の動乱と戦国大名の発展』吉川弘文館〈列島の東国史5〉、2021年。 
  4. ^ 柴裕之「総論 戦国・織豊期の徳川家康の動向と研究」『徳川家康』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究 第十巻 徳川家康〉、2021年、14頁。ISBN 978-4-86403-407-4 
  5. ^ 村岡幹生「松平氏〈有徳人〉の系譜と徳川〈正史〉のあいだ」平野明夫 編『家康研究の最前線』(洋泉社、2016年)。後、村岡『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年)所収。2023年、P33.
  6. ^ 『愛知県史』資料編中世2・1029号文書
  7. ^ 村岡幹生「安城松平一門・家臣奉加帳写の考察」『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年)P39-48.
  8. ^ 村岡幹生「松平信定の事績」『戦国期三河松平氏の研究』岩田書院、2023年1月、215-232頁。ISBN 978-4-86602-149-2 
  9. ^ 村岡幹生「松平氏〈有徳人〉の系譜と徳川〈正史〉のあいだ」平野明夫 編『家康研究の最前線』(洋泉社、2016年)。後、村岡『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年)所収。2023年、P31-33.
  10. ^ 「松平清康」『世界大百科事典第二版』
  11. ^ 「松平清康」『日本大百科全書
  12. ^ 第1章 岡崎市の歴史的風致形成の背景” (PDF). 岡崎市歴史的風致維持向上計画. 岡崎市. p. 43. 2022年6月3日閲覧。
  13. ^ 「三州吉田記」『近世三河地方文献集』(久曾神昇近藤恒次編 、国書刊行会、1980年)所収。
  14. ^ 村岡幹生「松平信定の事績」『戦国期三河松平氏の研究』岩田書院、2023年1月、219-223頁。ISBN 978-4-86602-149-2 
  15. ^ 「松平清康」『世界大百科事典第二版』
  16. ^ 『松平清康公仮葬地 愛知県』 と刻銘された石碑が建っている。
  17. ^ 柴裕之 著「桶狭間合戦の性格」、黒田基樹 編『今川義元』戎光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 第1巻〉、2019年6月、296頁。ISBN 978-4-86403-322-0 
  18. ^ 村岡幹生「安城四代清康から広忠へ-守山崩れの真相と松平広忠の執政開始-」『戦国期三河松平氏の研究』岩田書院、2023年1月、242-250頁。ISBN 978-4-86602-149-2 
  19. ^ 改正三河後風土記 上』 - 国立国会図書館、166p。
  20. ^ 三河物語』 - 国立国会図書館、40p。
  21. ^ 「尾張徳川家の至宝」展 妖刀 伝説から史実へ- 西日本新聞 2013年11月21日14時41分
  22. ^ 『新編安城市史1通史編 原始・古代・中世』(2007年)第10章参照
  23. ^ 村岡幹生「大草・岡崎松平家の光重・貞光父子と初期形原松平家」『愛知県史研究』12号(2008年)。後、村岡『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年)所収。2023年、P66-68.


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