三葉葵家紋の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:07 UTC 版)
松平郷のある西三河の賀茂郡は賀茂神社の神領で、松平氏が賀茂神社の氏子であったことから葵紋であった。『新編柳営続秘鑑』十二巻(「葵之御紋来由」)によると、松平信光の代に安祥城攻めの際に酒井氏に三葵の葉の家紋を与えたというが、祖父長親の代に三河に侵攻してきた今川軍の伊勢盛時(北条早雲)に岩津本家が滅ぼされた後に酒井氏の武功に肖り松平家の家紋としたという。結果として、酒井氏は酸漿(カタバミ)の家紋とされた。 なお『藩翰譜』(新井白石著。各大名家の家系図と事跡を記したもの)では松平清康の吉田城攻めの際に伊奈城主の名家本多正忠の立葵の家紋を拝領したものだとしている。
※この「三葉葵家紋の由来」の解説は、「松平清康」の解説の一部です。
「三葉葵家紋の由来」を含む「松平清康」の記事については、「松平清康」の概要を参照ください。
- 三葉葵家紋の由来のページへのリンク