MBDの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 05:43 UTC 版)
1959年にはパサマニックが、微細脳損傷(Minimal Brain DamageもしくはMinimal Cerebral Damage)なる用語を導入した。その後、正常な知能に行動異常と学習能力における特殊な障害を併せ持つ子どもに、微細脳損傷という言葉が乱用され、両親に恐怖感、絶望感を与え、患者に対する周囲の偏見を助長した。この頃は、今で言うところのADHDと学習障害(LD)両方の意味が、この言葉の中に含まれていた。1962年から1963年にかけて開かれた米国でのシンポジウムにおいて、微細脳損傷という用語は不適当であり、微細脳障害が適当であるとされた。ADHD研究の権威であるラッセル・バークレーは、2000年出版の著書の中で、ADHDの殆どの子供に明確な脳の損傷がないことに、研究者たちは20年前に気づいていたと書いている。
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