琴風豪規
(Kotokaze Kōki から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 07:53 UTC 版)
琴風 豪規(ことかぜ ごうき、1957年4月26日 - )は、三重県津市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士、演歌歌手。本名は中山 浩一(なかやま こういち)。江東区立深川第二中学校卒業。最高位は東大関。現役時代の体格は身長183cm、体重173kg。得意手は左四つ、寄り。スポーツ報知評論家[3]。愛称は「ペコちゃん」[1]。
注釈
- ^ 年齢も時代も大きく離れた佐渡ヶ嶽部屋の弟弟子である琴奨菊もがぶり寄りを得意にしているが、隆の里の弟子である稀勢の里に相性が良く、それぞれの次世代がライバルとなり似たような構図となっていた。
- ^ 播竜山孝晴、黒瀬川国由、出羽の花義貴、魁輝薫秀、蔵玉錦敏正、大飛進も昭和時代から年寄を務めていたが、令和に改元時は既に停年を迎えて嘱託扱いになっていた。上記の6人と同様に既に停年を迎えたが嘱託で年寄を務めていた舛田山靖仁や2020年12月に停年を迎えた朝潮太郎 (4代)、2016年に死去した千代の富士貢などはいずれも琴風より年上だが、引退年寄襲名は平成に改元後。
- ^ 左膝内側側副靱帯断裂により3日目から途中休場
- ^ 左膝内側側副靱帯断裂により5日目から途中休場
- ^ 左膝内側側副靱帯断裂・左膝半月板損傷・左腰部挫傷により10日目から途中休場
- ^ a b 公傷
- ^ 4代・朝潮と優勝決定戦
- ^ 角番
- ^ 右膝外側側副靱帯損傷・右腓骨頭剥離骨折により7日目から途中休場
- ^ 関脇陥落
出典
- ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p23
- ^ 角界「異名」列伝 ウルフの時代 時事ドットコム
- ^ “【尾車親方・特別寄稿】引退・嘉風、小さな体で頭から立ち向かう相撲 自慢の弟子一番のファン”. スポーツ報知 (2019年9月13日). 2019年12月6日閲覧。
- ^ 津市立高茶屋小学校"夢をかなえた先輩たち"2012年12月4日更新(2013年7月21日閲覧。)
- ^ 体育以外はオール5だった 5月場所前に去った名大関の七転八起人生 朝日新聞DIGITAL 2024年6月4日 15時00分 (文・抜井規泰、2024年6月5日閲覧)
- ^ a b c d 【あの時・“地獄を見た男”琴風】(2)お土産に渡されたマロングラッセ 2017年5月8日14時0分 スポーツ報知
- ^ a b c d e f g h i j k 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)132ページから133ページ
- ^ a b c 【あの時・“地獄を見た男”琴風】(3)大関候補を襲ったアクシデント 2017年5月8日14時0分 スポーツ報知
- ^ a b c d 大空出版『相撲ファン』vol.06 p18-23
- ^ a b c 【あの時・“地獄を見た男”琴風】(4)3度の大けが乗り越え大関昇進 2017年5月8日14時0分 スポーツ報知
- ^ 朝日新聞1981年9月9日付朝刊スポーツ面
- ^ 朝日新聞1981年9月28日付朝刊スポーツ面
- ^ 9月場所を展望する朝日新聞1981年9月9日付朝刊スポーツ面では、琴風の大関昇進ラインとして「三場所で三十二、三勝」としながらも「不在というピンチが考慮されるとそれ以下でも相撲の内容次第で昇進の可能性がある。」とされていた。
- ^ 星風、引退へ=師匠が意向表明-大相撲八百長問題 時事ドットコム 2011年4月10日[リンク切れ]
- ^ a b 【あの時・“地獄を見た男”琴風】(5)前頭10枚目で引退…再び大けがとの闘い - ウェイバックマシン(2017年5月8日アーカイブ分)
- ^ 尾車親方が緊急入院 転倒し「頸髄捻挫」 スポニチアネックス 2012年11月10日閲覧
- ^ 不屈の琴風=大けが乗り越え職場へ-大相撲 時事ドットコム 2012年11月10日閲覧[リンク切れ]
- ^ “尾車親方「奇跡的」復帰、頸髄捻挫重傷から「土俵に戻る」”. スポーツ報知. (2012年11月10日). オリジナルの2012年11月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『相撲』2013年11月号10頁
- ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号98頁から99頁
- ^ “頸髄損傷、あきらめない人生 尾車親方が語る (2/2ページ)”. 日本経済新聞 電子版. (2014年1月18日)
- ^ 尾車巡業部長が事業部長も兼任「相撲界の発展に全てささげたい」 スポーツニッポン 2015年12月19日閲覧
- ^ https://home.soka.ac.jp/~myamaoka/oguruma.html
- ^ 元横綱・千代の富士の九重親方が死去 NHKかぶんブログ 2016年7月31日記事
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p8
- ^ 尾車親方が大けが克服し還暦迎える「老骨にむち打って5年後まで頑張るよ」 サンスポ 2017年4月26日記事
- ^ 12年ぶり無投票で理事決定 相撲協会の役員候補選 日刊スポーツ 2020年1月30日12時18分(2020年1月30日閲覧)
- ^ 「親方の理事10人選任 日本相撲協会評議員会」『産経新聞』、2020年3月23日。2020年3月23日閲覧。
- ^ 尾車事業部長、両横綱に「進退懸けて出てこないと」 日刊スポーツ 2020年11月7日13時22分 (2020年11月8日閲覧)
- ^ 「尾車親方が1月初場所後に部屋閉鎖を表明 「悔いはない。やりきったと」」『日刊スポーツ』、2021年12月25日。2021年12月25日閲覧。
- ^ 尾車親方35年師匠人生に幕「いい夢見させてくれた」十両V争い矢後に感謝 日刊スポーツ 2022年1月23日20時38分 (2022年1月24日閲覧)
- ^ 「尾車部屋力士の転属先決まる 尾車親方、十両矢後ら新設の押尾川部屋へ転属」『日刊スポーツ』、2022年1月27日。2022年2月6日閲覧。
- ^ 尾車親方 熱く訴えた「未経験、運動神経が悪い、体形も相撲に向いていない者が大関になれた」 日刊スポーツ 2022年3月22日 05:30 (2022年3月22日閲覧)
- ^ 尾車親方「仲間が減っていくのはつらいよ」元大関朝潮さんの訃報に親方衆からも悲しみの声 日刊スポーツ 2023年11月5日8時46分 (2023年11月5日閲覧)
- ^ 「元大関琴風の尾車親方の退職を相撲協会が発表 任期満了の70歳を3年近く残して」『日刊スポーツ』、2024年5月11日。2024年5月11日閲覧。
- ^ 【北の富士コラム】尾車親方は文字通り努力の人であった…琴風時代の“努力エピソード”今も印象に残っている 中日スポーツ・東京中日スポーツ 2022年3月22日 05時00分 (2022年3月27日閲覧)
- ^ https://home.soka.ac.jp/~myamaoka/Oguruma_Koichi.pdf
- ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p9
- ^ 相撲協会、験担ぎのひげ禁止に 「汚い」「見苦しい」 朝日新聞DIGITAL 2019年2月26日17時35分(朝日新聞社、2019年3月1日閲覧)
- ^ https://nikkan-spa.jp/1731602/2
固有名詞の分類
- 琴風豪規のページへのリンク