KGB議長として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 04:31 UTC 版)
「ユーリ・アンドロポフ」の記事における「KGB議長として」の解説
1967年に中央委員会を離れ、ミハイル・スースロフの推薦で国家保安委員会(KGB)議長に就任し、1982年に書記に復帰するまで以後15年の長きにわたって同職を務めることとなる。KGB議長就任と同時に政治局員候補となり、1973年に投票権のある正規の政治局員となる。秘密警察の責任者が政治局に入るのはラヴレンチー・ベリヤ以来のことであった。これはベリヤ追放後にフルシチョフの発意で、軍と秘密警察を党の統制下に置くため、国防相と同じくKGB議長の政治局入りを禁止してきたのを、ブレジネフが解禁した結果であった。1973年にはアンドレイ・グレチコ国防相も政治局員となっている。 KGB議長としては外交面での緊張緩和(デタント)がソ連国内でイデオロギーを弛緩させることに関して警戒し、峻厳な治安政策をとった。
※この「KGB議長として」の解説は、「ユーリ・アンドロポフ」の解説の一部です。
「KGB議長として」を含む「ユーリ・アンドロポフ」の記事については、「ユーリ・アンドロポフ」の概要を参照ください。
- KGB議長としてのページへのリンク