ジョン・ジャーディ
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ジョン・ジャーディー(Jon Jerde、1940年1月22日 - 2015年2月9日)は、アメリカ合衆国の建築家。
概要
ジョン・ジャーディーは、大型商業施設を中心に設計を手がけた建築家であり、「人々が集い、交流する公共空間としての商業施設」という概念を確立したことで知られる。従来の機能中心のショッピングセンターとは異なり、都市的体験や回遊性を重視した空間設計を特徴とした。アメリカをはじめ、日本や欧州など世界各地で商業施設の設計を手がけ、日本ではキャナルシティ博多、六本木ヒルズ、なんばパークスなどの都市再開発に関与した[1]。
経歴
イリノイ州に生まれる。幼少期は貧しい家庭環境で育ち、家族は引越しを繰り返した。捨てられた材料を集めて裏庭で建築物を作るなど、早くから空間構成に関心を示していたという。こうした幼少期の経験が、人々が共有できる空間を重視する自身の建築思想に影響を与えたと、本人はインタビューで述べている[2] 。
当初は父親に建築家になることを反対されたため、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に進学し工学と美術を学んだ。その後、アルバイト先の建築現場に来ていた南カリフォルニア大学の学長が彼の描いたデザイン・スケッチを見て非常に感銘を受け、南カリフォルニア大学に奨学金を得て編入し建築学を専攻した[2]。
大学卒業後は建築事務所に勤務し、郊外型ショッピングセンターの設計に携わった。1977年、大手デベロッパーからカリフォルニア州、サンディエゴ市内にホートン・プラザの設計を依頼される。ホートン・プラザは商業的に大きな成功を収め、その後ロサンゼルスオリンピック (1984年)の都市計画にも関与した。
以後、アメリカを中心に世界各地で商業施設や都市空間の設計を手がけ、日本でも複数の都市再開発プロジェクトに関わった。
晩年は癌およびアルツハイマー型認知症を患い、2015年2月9日、ロサンゼルス市ブレントウッドの自宅で死去した。75歳だった[1]。
作品
日本
- キャナルシティ博多(1996年、福岡県福岡市)
- リバーウォーク北九州(2003年、福岡県北九州市)
- 六本木ヒルズ(2003年、東京都港区)
- なんばパークス(2003年、大阪府大阪市)
- ラ・チッタデッラ(神奈川県川崎市)
- 電通本社ビル(東京都港区)
アメリカ
- モール・オブ・アメリカ(1992年、ミネソタ州)
- フレモント・ストリート・エクスペリエンス(1995年、ラスベガス)
- ベラージオ(1998年、ラスベガス)
脚注
- ^ a b 「ジョン・ジャーディ氏が死去 米建築家、六本木ヒルズ設計」『日本経済新聞』2015年2月10日、オンライン。
- ^ a b Colker, David. “Jon Jerde dies at 75; L.A. architect redefined shopping mall, urban spaces”. Los Angeles Times 2015年2月10日閲覧。
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