ジョニー・テイラーとは? わかりやすく解説

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ジョニー・テイラー

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/05 01:48 UTC 版)

ジョニー・テイラー
テイラー (1973年、シカゴ)
基本情報
原語名 Johnnie Taylor
出生名 Johnnie Harrison Taylor
別名 フィロソファー・オヴ・ソウル (ソウルの哲学者)[1]
生誕
死没
ジャンル
職業
担当楽器 ボーカル
活動期間 1953年 – 2000年
レーベル

ジョニー・テイラー (Johnnie Taylor1934年5月5日 - 2000年5月31日[2][3])は、アメリカ合衆国のソウル歌手、ソングライターである。ブルースR&Bゴスペルからポップディスコまで幅広い音楽ジャンルを歌いこなす存在であった。彼はスタックス・レコードリリースの「フーズ・メイキング・ラヴ」(1968年)、「Jody's Got Your Girl And Gone」(1971年)、「I Believe In You (You Believe In Me)」(1973年)でR&Bチャート1位のヒットを記録、また「Disco Lady」(1976年)では、ポップ・チャートでも1位となっている。

来歴

幼少期

テイラー (1967年)

ジョニー・テイラーは、1934年5月5日アーカンソー州クロウフォーズヴィルに生まれた[4]。彼はアーカンソー州内のウェストメンフィスで育ち、幼少期からゴスペル・グループに参加している。大人になってから、サム・クックも参加していたゴスペル・グループ、ハイウェイQ.C.ズのメンバーとして、シカゴヴィージェイ・レコードより1950年代にシングル「Somewhere To Lay My Head」をリリースしている[4]。ここでのテイラーの歌は際立ってクックに似ている。その後彼は1957年にクックの後任としてゴスペル・グループのソウル・スターラーズに加入することとなった[4]

この数年後、クックがインディー・レーベルのSARレコードを立ち上げると、テイラーは最初のアーティストの一人として1962年に「Rome Wasn't Built In A Day」をレコーディングした[4]。しかし、SARは1964年にクックが死去すると、間もなく消滅してしまった。

1966年、テイラーはメンフィススタックス・レコードと契約を交わし、ここで「フィロソファー・オヴ・ソウル」という愛称で呼ばれるようになった。彼はブッカー・T&ザ・MGズを含む、レーベルのハウス・バンドとレコーディングを始めた。彼がここでヒットさせた曲には「I Had A Dream」、「I've Got To Love Somebody's Baby」(どちらもアイザック・ヘイズとデイヴィッド・ポーターのソングライター・チームによって作詞作曲されている)、そして最も知られている「フーズ・メイキング・ラヴ」がある[4]。この曲は1968年、ビルボード・ポップ・チャートの5位、R&Bチャートでは1位を記録した。「Who's Making Love」は百万枚以上を売り上げ、ゴールドディスクを授与された[5]

1970年、テイラーはガーリーン・ロケットと結婚した。その後2000年5月10日、テイラーの死去21日前に彼らの離婚が成立している[6]。両者の結婚からはミュージシャンとなった2人の子供、ジョン・ハリソン・テイラーとターシャ・テイラーが生まれている。

彼はスタックス在籍時に、ポップ・チャートの23位となった「Jody's Got Your Girl And Gone」、マック・ライス作詞作曲の「Cheaper To Keep Her」、ポップ・チャート11位を記録した「I Believe In You (You Believe In Me)」(音楽プロデューサーのドン・デイヴィス作詞作曲)など12曲以上をチャートに送り込み、R&Bスターの地位を確立した。「I Believe In You (You Believe In Me)」は百万枚以上を売り上げ、1973年10月にRIAAよりゴールドディスクを贈られている[7]。レーベル最大のスターだったオーティス・レディングの1967年の飛行機事故死後、テイラーはアイザック・ヘイズ、ステイプル・シンガーズと並んでレーベルの主要アーティストの一人となり、レーベルの売上に貢献した。彼は1973年のドキュメンタリー映画『ワッツタックス/スタックス・コンサート』にも出演している[8]

コロムビア・レコード

"職人にしては彼はちょっとした天才で、アルフレッド・キンゼイよりもよほど浮気のことを熟知している。"
Christgau's Record Guide: Rock Albums of the Seventies (1981)[9]

スタックスが1975年に閉鎖となると、テイラーはコロムビア・レコードに移籍し、ドン・デイヴィスが引き続きプロデューサーを担当し、彼最大の成功となった「Disco Lady」を1976年にレコーディングした[4]。この曲は、4週間に渡ってビルボード・ポップ・チャートのトップの座を維持し、R&Bチャートでは6週間に渡り1位となった。イギリスのシングルズ・チャートでは1976年5月に25位まで上昇した[10]。「Disco Lady」はRIAAが初めて認定したプラチナ・レコード(販売枚数:200万枚)となった[4]。テイラーはこの後デイヴィスと共にコロムビアで更にいくつかのアルバムとシングルをレコーディングし成功を収めたが、プロデューサーがブラッド・シャピーロに交替した頃には、売り上げはかつての勢いを失っていた。

マラコ・レコード

ロサンゼルスの零細レーベル、ビヴァリー・グレン・レコードで1982年にアルバムを1枚出した後、テイラーはマラコ・レコードと契約をした[4]。1984年春にテイラーがブルース歌手Z.Z.ヒルの葬儀で歌うのを同レーベルの創設者のトミー・カウチとプロデューサーのパートナー、ウルフ・スティーヴンソンが聴き、彼に声をかけたのであった 。

マラコはマッスルショールズ・リズム・セクションに加え、元スタックスのキーボード奏者カーソン・ウィットセット、ギタリスト/バンドリーダーのバーナード・ジェンキンズにバックを務めさせ、テイラーにスタックスが1960年代末から1970年代初頭にかけて与えたような自由を与えた。好条件を得たテイラーは向こう16年間で10枚のアルバムをマラコからリリースしたのだった。

1996年、マラコからの8枚目のアルバム『Good Love!』はビルボードのトップ・ブルース・アルバムズ・チャートの1位(R&Bチャートでは15位)を記録し、マラコの史上最高のヒットを記録した。この成功を受けて、マラコは1997年夏、テキサス州ダラスのロングホーン・ボールルームでテイラーのライヴ・ビデオ『Live At The Longhorn Ballroom』をレコーディングした。

テイラー最後の曲となったのは「Soul Heaven」(1999年)で、ルイ・アームストロングオーティス・レディング、Z.Z.ヒルからノトーリアス・B.I.G.までアフリカ系アメリカ人の亡くなった大物が多く出演するコンサートを夢見る内容となっている。

ラジオ

1980年代にテイラーは、彼が住んでいたダラス地域のラジオ局KKDAでDJをしていた。この局では主にR&Bやソウルのオールディーズをかけており、出演するホストは地元のR&B、ソウル、ブルース、ジャズのミュージシャンが少なくなかった。テイラーは「The Wailer, Johnnie Taylor」の名で出演をしていた。

死去とその後の困難

テイラーは、2000年5月31日、ダラスのチャールトン・メソジスト病院で心臓発作で死去した。66歳であった[1]。彼はカンザスシティのフォレスト・ヒル墓地にある母親のアイダ・メイ・テイラーの墓の隣に埋葬された[11][1]

彼の非常に複雑な私生活がその死後明らかになった。彼には3人の異なる母親が産んだ6人の認知した子供に加え、更に彼が父親であると確認された3人の子供がおり[12]、彼の遺言執行にまつわる難しさはテレビ・シリーズ「The Will: Family Secrets Revealed」のシーズン2、エピソード3(タイトル:The Estate of Johnnie Taylor)で明らかにされている[13]。2021年 のローリング・ストーンの記事の中で、テイラーの遺産の9人の相続人の一人であるフォンダ・ブライアントは、過去10年間に父親のソニー・ミュージックからの印税支払いに関して、彼女と他の兄弟が対処しなければならなかった複雑な問題の一部を説明した。ブライアントは、これらの支払いに関する透明性の欠如は、ソニーが父親の個人情報を開示するのに十分な理由だと考えていた。しかしソニーが開示を拒否したことにより、ブライアントと他の相続人は状況がわからないままであった。音楽業界専門の弁護士、エリン・M・ジェイコブソンは記事の中で「レーベルは、財務記録を要求された人にただ渡すわけではない」と記している。「レーベルの会計処理に不信感を抱いている相続人」にとって、監査は実行可能な選択肢となる。しかし、その欠点は実行には莫大な費用がかかることであり、「それはブライアントのような相続人にとってはあまりに非現実的すぎた[14]。」

受賞とノミネーション

テイラーは1999年にリズム・アンド・ブルース・ファウンデーションのパイオニア・アワードを受賞した[15]

2015年には、テイラーはナショナル・リズム・アンド・ブルース殿堂入りをした。更に2022年にはブルースの殿堂にも迎え入れられている[16][17]。殿堂入りの表彰状には、「テイラーは、自身がブルース以外の歌も歌えると強調していたが、実際ゴスペルやソウルのパフォーマンスを行なった際にそれを十分に証明した。しかし、アフリカ系アメリカ人の聴衆の間では、彼はブルースのイベントにおいてその時代のトップ・ヘッドライナーとして君臨していた」と記されている[17]

グラミー賞

テイラーはキャリアの中で3つのグラミー賞にノミネートされているが、受賞はしていない[18]

作品名 カテゴリー 結果
1969年 「Who's Making Love」 最優秀男性R&Bボーカル・パフォーマンス賞 ノミネート
1977年 「Disco Lady」 最優秀男性R&Bボーカル・パフォーマンス賞 ノミネート
2001年 『Gotta Get the Groove Back』 最優秀トラディショナルR&Bボーカル・アルバム賞 ノミネート

プラチナ・レコード賞

ジョニー・テイラーは、1976年4月24日、2百万枚を売り上げるスマッシュ・ヒットとなった「Disco Lady」で、史上初のプラチナ・レコード賞をRIAAより授与された[19]

サンプリング

2004年、イギリスのシェイプシフターズが、テイラーの1982年の楽曲「What About My Love?」をサンプリングした「Lola's Theme」でチャート1位のヒットとなった[20]

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

アルバム名 チャート最高位 レーベル
US
[21]
US R&B
[21]
1967年 『Wanted: One Soul Singer』 26 Stax
1968年 『Who's Making Love...』 42 5
『Raw Blues』 126 24
『Rare Stamps』 33
1969年 『The Johnnie Taylor Philosophy Continues』 109 10
1971年 『One Step Beyond』 112 6
1973年 『Taylored In Silk』 54 3
1974年 『Super Taylor』 182 10
1976年 『Eargasm』[22] 5 1 Columbia
1977年 『Rated Extraordinaire』 51 6
『Reflections』 45 RCA
『Disco 9000』 183 22 Columbia
1978年 『Ever Ready』 164 35
1979年 『She's Killing Me』 53
1980年 『A New Day』 75
1982年 『Just Ain't Good Enough』 172 19 Beverly Glen
1984年 『This Is Your Night』 55 Malaco
1985年 『Wall To Wall』 46
1987年 『Lover Boy』 70
1988年 『In Control』 43
1989年 『Crazy 'Bout You』 47
1991年 『I Know It's Wrong But I... Just Can't Do Right』 59
1993年 『Real Love』 76
1996年 『Good Love!』 108 15
1998年 『Taylored To Please』 44
1999年 『Gotta Get the Groove Back』 140 30
2001年 『There's No Good in Goodbye』 30
"—"印はチャート入りしなかったことを示している。

コンピレーション・アルバム

アルバム名 レーベル 備考
2001年 『FunkSoulBrother』[23] Fuel 2000 1970年代の音源集

シングル

シングル名 チャート最高位
米ポップ
[24]
米R&B
[25]
英国
[26]
カナダ
[27]
[28]
1963年 「Baby, We've Got Love」 98 *[29]
1966年 「I Had A Dream」 19
「I Got To Love Somebody's Baby」 15
1967年 「Somebody's Sleeping In My Bed」 95 33
1968年 「Next Time」 34
「I Ain't Particular」 45
Who's Making Love 5 1 7
1969年 「Take Care Of Your Homework」 20 2 27
「Testify (I Wanna)」 36 4 35
「I Could Never Be President」 48 10
「Love Bones」 43 4 38
1970年 「Steal Away」 37 3 36
「I Am Somebody Part II」 39 4 45
1971年 「Jody's Got Your Girl And Gone」 28 1
「I Don't Wanna Lose You」 86 13
「Hijackin' Love」 64 10
1972年 「Standing In For Jody」 74 12
「Doing My Own Thing (Part I)」 109 16
「Stop Doggin' Me」 101 13
1973年 「I Believe In You (You Believe In Me)」 11 1 35
「Cheaper To Keep Her」 15 2
1974年 「We're Getting Careless With Our Love」 34 5 77
「I've Been Born Again」 78 13
「It's September」 26
1975年 「Try Me Tonight」 51
1976年 「Disco Lady」 1 1 25 14
「Somebody's Gettin' It」 33 5 94
1977年 「Love Is Better In The A.M. (Part 1)」 77 3 63
「Your Love Is Rated X」 17
「Disco 9000」 86 24
1978年 「Keep On Dancing」 101 32
「Ever Ready」 84
1979年 「(Ooh-Wee) She's Killing Me」 /
「Play Something Pretty」
37
79
1980年 「I Got This Thing For Your Love」 77
1982年 「What About My Love」 24
1983年 「I'm So Proud」 55
1984年 「Lady, My Whole World Is You」 74
1987年 「Don't Make Me Late」 74
1990年 「Still Crazy For You」 60
"—"印は、チャート入りをしなかったあるいは、その地域で発売されなかったことを示している。

脚注

  1. ^ a b c Johnnie Harrison Taylor (1934-2000)”. Encyclopedia of Arkansas. 2025年12月17日閲覧。
  2. ^ Patrick Montier. “Johnnie Taylor”. Staxrecords.free.fr. 2025年12月16日閲覧。
  3. ^ Steve Huey. “Johnnie Taylor Biography”. AllMusic. 2025年12月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h Colin Larkin, ed (1997). The Virgin Encyclopedia of Popular Music (Concise ed.). Virgin Books. pp. 1164/5. ISBN 1-85227-745-9 
  5. ^ Johnnie Taylor "Who's Making Love" Gold RIAA 45 White Matte Record Award -”. honormusicawards.com (2011年12月15日). 2017年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月16日閲覧。
  6. ^ Estate sale showcases blues singer's personal effects”. Myplainview.com (2003年9月18日). 2025年12月16日閲覧。 (要購読契約)
  7. ^ Joseph Murrells (1978). The Book of Golden Discs (2nd ed.). London: Barrie and Jenkins Ltd. pp. 249 and 338. ISBN 0-214-20512-6. https://archive.org/details/bookofgoldendisc00murr/page/249 
  8. ^ John Tobler (1992). NME Rock 'N' Roll Years (1st ed.). London: Reed International Books Ltd. p. 241. CN 5585 
  9. ^ Robert Christgau (1981). “Consumer Guide '70s: T”. Christgau's Record Guide: Rock Albums of the Seventies. Ticknor & Fields. ISBN 089919026X. https://www.robertchristgau.com/get_chap.php?k=T&bk=70 2019年3月15日閲覧。 
  10. ^ David Roberts (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 550. ISBN 1-904994-10-5 
  11. ^ Erika Weber (2018年8月6日). “Johnnie Harrison Taylor (1934-2000)”. Blackpast.org. 2025年12月17日閲覧。
  12. ^ Contact Support”. Estateofdenial.com. 2013年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月18日閲覧。
  13. ^ The Estate of Johnnie Taylor”. IMDb.com (2011年11月16日). 2018年5月18日閲覧。
  14. ^ Jonathan Bernstein (2021-11-02). “He Scored the First Platinum Hit. 45 Years Later, His Family Is Fighting for Every Penny”. Rolling Stone. https://www.rollingstone.com/music/music-features/johnnie-taylor-fonda-bryant-sony-royalties-1241773/ 2022年7月16日閲覧。. 
  15. ^ The Innovators: Stax Artist Spotlights Johnnie Taylor”. Stax Records. 2025年12月16日閲覧。
  16. ^ 2022 Blues Hall of Fame Inductees”. The Blues Foundation. 2025年12月16日閲覧。
  17. ^ a b Johnnie Taylor”. The Blues Foundation. 2025年12月16日閲覧。
  18. ^ Artists-Johnnie Taylor”. Grammy.com (2019年6月4日). 2025年12月16日閲覧。
  19. ^ Fred Dellar (2022年5月2日). “MOJO Time Machine: Johnnie Taylor Wins The First Ever Platinum Single”. Mojo Magazine. 2025年12月16日閲覧。
  20. ^ Rob Copsey (2021年7月22日). “Official Charts Flashback 2004: Rachel Stevens' Some Girls vs. Lola's Theme”. Official Charts. 2025年12月16日閲覧。
  21. ^ a b Johnnie Taylor - Awards”. AllMusic. 2012年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月5日閲覧。
  22. ^ Eargasm - Johnnie Taylor”. AllMusic. 2021年6月23日閲覧。
  23. ^ CD Reviews: The Beta Band, Default, Toploader and many more”. Chart Attack (2001年7月17日). 2001年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月16日閲覧。
  24. ^ Whitburn, Joel (2003). Top Pop Singles 1955-2002 (1st ed.). Menomonee Falls, Wisconsin: Record Research Inc.. p. 700. ISBN 0-89820-155-1. https://archive.org/details/joelwhitburnstop00whitbur/page/700 
  25. ^ Joel Whitburn (1996). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942-1995. Record Research. p. 435 
  26. ^ Graham Betts (2004). Complete UK Hit Singles 1952-2004 (1st ed.). London: Collins. p. 772. ISBN 0-00-717931-6 
  27. ^ RPM Top 100 Singles”. Library and Archives Canada. 2025年12月16日閲覧。
  28. ^ RPM Top 100 Singles”. Library and Archives Canada. 2025年12月16日閲覧。
  29. ^ この頃、ビルボードのR&Bチャートは発行されていない。

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