ジョン・ダイアック
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ジョン・ダイアック(John Diack、1828年 - 1900年9月7日)はイギリス出身の技術者で、香港植民地政府でしばらく働いた後、明治政府に雇われ、鉄道建設等に力を発揮した。
経歴・人物
1870年(明治3年)ジョン・イングランドらとともに明治政府のお雇いとなり、工部省鉄道寮の副技術主任として、鉄道建設に尽力した[1]。
新橋 - 横浜間の鉄道敷設の測量を指導し、同時期にダイアックは同線に0マイルの標杭を打ち込んだと見られる[2]。1881年(明治14年)に工部省を退職して横浜に転勤し、自営業を営む[2]。1883年(明治16年)には後の東海道本線である京都 - 大阪 - 神戸間の測量や敷設工事も指導した[3]。また鉄道関係技術以外にも、日本郵船支店等の多くの建築物の設計に携わった[2]。
1900年(明治33年)死去し、横浜外国人墓地に葬られた[1]。
脚注
- ^ a b 事典 日本の地域遺産
- ^ a b c 朝日日本歴史人物事典
- ^ 日本大百科全書
外部リンク
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