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ハリー・ハスキー

(Harry Huskey から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 16:06 UTC 版)

Harry Huskey
ハリー・ハスキー
ハリー・ハスキー(2011年)
生誕 Harry Douglas Huskey
(1916-01-19) 1916年1月19日
アメリカ合衆国ノースカロライナ州スモーキー山脈地方英語版
死没 2017年4月9日(2017-04-09)(101歳)
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクルーズ
市民権 アメリカ合衆国
研究分野 数学計算機科学
研究機関 カリフォルニア大学
ペンシルベニア大学
出身校 オハイオ州立大学(修士、Ph.D.)
アイダホ大学(学士)
論文 Contributions to the Problem of Geocze (1943)
博士課程
指導学生
バトラー・ランプソン
ニクラウス・ヴィルト
主な受賞歴 ACMフェロー(1994年)
コンピュータ歴史博物館フェロー(2013年)[1]
配偶者 Velma Roeth(1991年死別)、Nancy Grindstaff(1994年 - 2015年死別)
プロジェクト:人物伝
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ハリー・ダグラス・ハスキー(Harry Douglas Huskey、1916年1月19日 - 2017年4月9日)は、アメリカ合衆国数学者計算機科学者であり、コンピュータの設計の先駆者である。

生涯と業績

ハスキーはノースカロライナ州スモーキー山脈地方英語版ウィッティア英語版で生まれ、アイダホ州で育った。アイダホ大学数学物理学の学士号を取得した。家族の中で大学に入学したのは彼が初めてだった。1943年にオハイオ州立大学で"Contributions to the Problem of Geocze"(Geoczeの問題への貢献)という題の論文で修士号とPh.D.を取得した。その後、ペンシルベニア大学で米海軍の学生に数学を教え、1945年にENIACEDVACのプロジェクトに関わった。ニューヨーク・タイムズ掲載の死亡記事によれば、ハスキーがコンピュータに関わるようになったのはここからである[2]

イギリス国立物理学研究所に1年間滞在し、アラン・チューリングらと共にパイロットACEACEのプロトタイプ)に取り組んだ。また、EDVACやSEACのプロジェクトにも関与していた。

1949年から1953年までロサンゼルスの国立標準局Standards Western Automatic Computer(SWAC)の設計と製造管理を行った。また、ベンディックス・アヴィエーション英語版G-15コンピュータを設計した。これは950ポンド (430 kg)の装置で、1人で操作が可能である[3]。彼はその1台を自宅に保有しており、それは現在スミソニアン博物館に所蔵されている。

国立標準局に5年間勤務した後、1954年にカリフォルニア大学バークレー校(UCB)で教職を得、1966年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校(UCSC)に移った。1967年にUCSCでコンピュータおよび情報科学プログラムを共同設立した。また、コンピュータセンターの所長になった。1986年、UCSCは彼を名誉教授に任命した。UCBにいる間、先駆的なプログラミング言語の設計者であるニクラウス・ヴィルトの研究を指導した。ニクラウス・ヴィルトは1963年に博士号を取得した。1963年から1964年にかけて、ハスキーはインド工科大学カーンプル校英語版のコンピュータセンターの設立に参加し、コンピュータテクノロジーの先駆者との会議を開催した[4]。参加者には、プリンストン大学フォーマン・S・アクトン英語版ケース工科大学のロバート・アーチャー、オーストラリア・CDCのS・バートン、メキシコシティのセントロ・デ・カルキュロのS・ベルトラン[5]シドニー大学ジョン・メイクピース・ベネット英語版SDC英語版の Launor Carter[6]、UCBのデイビッド・C・エバンス英語版、IBM-SBCのブルース・ギルクライスト英語版、UCサンディエゴのClay Perry、東京大学森口繁一、UCBのジオ・ ウィダーホールド英語版、アムステルダム・国立数学研究所英語版アドリアン・ファン・ワインハールデン英語版ケンブリッジ大学モーリス・ウィルクスがいた。

1986年に70歳で退職し、カリフォルニア大学の名誉教授となった。1994年にACMフェローに選出された。カリフォルニア州マウンテンビューコンピュータ歴史博物館の上級キュレーターであるダグ・スパイサーは、ハスキーを「コンピューティングの最高の瞬間に登場するゼリグ[注釈 1]のようなキャラクター」と表現した[7]

私生活

インド・マディヤ・プラデーシュ州カジュラーホーの寺院にて、ハリー・ハスキー(左)と妻のヴェルマ

ハスキーはヴェルマ・ロス(Velma Roeth)と結婚し、4人の子供をもうけた。ヴェルマと1991年に死別した後、1994年にナンシー・グリンドスタッフ(Nancy Grindstaff)と結婚した(2016年に死別)。彼はカリフォルニア州サンタクルーズに住んでいた。

ハスキーはグルーチョ・マルクスのラジオ番組『ユーベットユアライフ英語版』の1950年5月10日の回の3組目の出場者として登場した。彼は「電子頭脳」の設計者と説明された。彼は「州」のカテゴリを選択したが、最終問題のミズーリ州の北の州(答はアイオワ州)を回答できなかった[8]

主な著書

受賞

2013年、コンピュータ歴史博物館は彼を博物館のフェロー(コンピュータ殿堂)に選出した。受賞理由は「初期の重要なコンピュータシステムに関する影響力の強い研究と、コンピュータ教育に対する生涯にわたる功績に対して」である[9]

脚注

注釈

  1. ^ 映画『カメレオンマン』の主人公

出典

  1. ^ Harry D. Huskey 2013 Fellow
  2. ^ Roberts, Sam, Harry Huskey, 101, Dies;Scientist at forefront of computer revolution, New York Times, April 21, 2017, p.B14
  3. ^ G-15 and Harry Huskey at the SWAC”. 2012年2月8日閲覧。
  4. ^ IIT CS”. 2012年2月8日閲覧。
  5. ^ http://unesdoc.unesco.org/images/0015/001564/156454eb.pdf
  6. ^ Launor Carter: Educational technology--computer-related and people-related, SDC Corporation, January 1, 1969
  7. ^ Roberts, Sam, Harry Huskey, 101, Dies; Scientist at forefront of computer revolution, New York Times, April 21, 2017, p.B14
  8. ^ You Bet Your Life | Old Time Radio”. 2013年12月31日閲覧。
  9. ^ CHM. “Harry D. Huskey — CHM Fellow Award Winner”. 2017年4月9日閲覧。Archived copy”. 2016年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月1日閲覧。

外部リンク

 




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