GRU総局長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/21 05:11 UTC 版)
「ピョートル・イワシュチン」の記事における「GRU総局長」の解説
イワシュチンのGRU総局長任命は、1962年10月に米CIAと英MI6のためにスパイ行為を働いていたGRUのオレグ・ペンコフスキー大佐が逮捕され、前GRU総局長イワン・セーロフが更迭されたことと関連している。 イワシュチンの就任前、GRUの諜報情報は、報告書の形で国防相に提出されるのが決まりだった。ところが、イワシュチンの在任時のある日、国防相のグレチコ元帥がその報告書をレオニード・ブレジネフ書記長に見せたところ、書記長はこれを気に入り、常に自分のところに持ってくるように指示した。以来、20年以上に渡って、GRUの報告は書記長が目にするようになった。チェルネンコ書記長は、GRUの報告書が国防省内で止まっている時、すぐさま電話をかけるのが常だった。
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