ESS 3000形電気機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/25 06:19 UTC 版)
ESS 3000形電気機関車 | |
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![]() 1972年8月に撮影されたESS 3003号機 | |
基本情報 | |
運用者 | ESS → PJKA |
製造所 | SLM、ブラウン・ボベリ |
製造年 | 1924年 - 1927年 |
総数 | 4両 |
引退 | 1976年 |
投入先 | ジャカルタ - ボゴール |
主要諸元 | |
軸配置 | '(1A)Bo(A1)' |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電気方式 | 直流1500V(架空電車線方式) |
全長 | 10.630 mm |
全幅 | 2.650 mm |
全高 | 3.340 mm |
機関車重量 | 70 t |
車輪径 |
1500 mm(駆動輪直径) 777 mm(前輪直径) |
主電動機出力 | 800 kW (1.100 hp) |
駆動方式 | ブフリ式駆動方式 |
制動装置 | 真空ブレーキ |
最高速度 | 90 km/h (980 in/s) |
定格出力 | 1400馬力 |
ESS 3000形電気機関車(インドネシア語:Lokomotif listrik ESS 3000)は、かつてインドネシアのジャカルタとボゴール(ボゴール線)との間で使われていた電気機関車である[1]。1924年から1927年にかけて、スイスのSLM社とブラウン・ボベリ社で製造された。
概要
1924年にESS 3001号機とESS 3002号機が一次車として製造され、1927年に二次車としてESS 3003号機とESS 3004号機が製造された[2]。SLM社が設計したジャワ台車を初めて採用した世界初の電気機関車である[3]。
電気鉄道(Elektrische Staatsspoorwegen、ESS)時代からインドネシア国鉄(PJKA)時代の1970年代まで活躍した。ESS 3000形の他に、3100形、3200形、3400形などの電気機関車も発注しており、タンジョンプリオク駅からミースターコルネリス駅(現在のジャティネガラ駅)の路線で使用され、1970年代半ばまでデポックやブイテンゾルグ(今のボゴール)でも運行された。ESS 3000形電気機関車は1両も保存されず現存しない[1]。
機関車には4つの駆動車軸と両端に1つの前輪車軸があり、隣接する駆動車軸と組み合わせてジャワ台車を構成している。この台車設計は3000形で初めて採用されており、これが名前の由来となっている[3]。 台車のピボットポイントは駆動車軸に非常に近いため、半径方向の調整が可能でありながら、ブフリ式駆動方式を採用することができた取り付けることができた。電動機は機関車の車体に設置されている。
ギャラリー
出典
- ^ a b “Lokomotif Listrik ESS3201”. web.archive.org (2014年8月8日). 2025年4月25日閲覧。
- ^ “Electrische Staatspoorwegen”. searail.malayanrailways.com. 2025年4月25日閲覧。
- ^ a b “Neuerungen im mechanischen Aufbau elektrischer Schnellzuglokomotiven" (dalam bahasa Jerman), Schweizerische Bauzeitung 89 (13): hal. 174–175,”. 2025年4月25日閲覧。
「ESS 3000形電気機関車」の例文・使い方・用例・文例
- 彼はESS(英語研究部)に入っています。
- 隠し砦(とりで)の三悪人 THE LAST PRINCESS
- THE LAST MESSAGE 海猿
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