ゾクチェンとは? わかりやすく解説

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ゾクチェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/26 02:03 UTC 版)

ゾクチェン: རྫོགས་ཆེན་、rdzogs chen)は、主にチベット仏教ニンマ派(古派)と、チベット古来の宗教であるボン教に伝わる教えである。ゾクチェンという言葉はチベット語で「大いなる完成」を意味する「ゾクパ・チェンポ」(རྫོགས་པ་ཆེན་པོ་、rdzogs pa chen po)の短縮形であり、人間を含むあらゆる生きもの(一切有情)の「心における本来の様態」(sems nyid、セムニー)、またはあるがままで完成された姿のことを指している。


  1. ^ 『シャンシュン・ニェンギュー』は8世紀には成立していたと言われている。それ以来、埋蔵経典(テルマ)として隠されることなくその系譜が続いているとされる(『智恵のエッセンス』 p.249 参照)。
  2. ^ ただしナムカイ・ノルブは、ゾクチェンそのものは仏教にもボン教にも属していないとしており(『虹と水晶』 pp.29-30)、ボン教がゾクチェンの起源だと示唆しているわけではない。
  3. ^ 「空間」と漢訳、ニンマ派やカギュ派の「マハームドラー」が典拠。現在、ニンマ派の「マハームドラー」には、古タントラの「金剛頂経」や『大幻化網タントラ』に属するニンマ派の古伝のものと、カギュ派やサキャ派から伝わったナーローパ伝の「マハームドラー」とがある。
  4. ^ 「ミラム」は、「夢見」(ゆめみ)あるいは「夢示」(むじ)と漢訳。現在ではゾクチェンに付随する教えで、後期密教の六成就法の6つの代表的な瞑想法の一つであり、10世紀に始まるカギュ派の「ナーローの六法」や「ニグマの六法」、ドゥジョム・テルサルの「イェシェ・ツォギャルの六法」が典拠。「ナーローの六法」等はニンマ派に伝えられて久しいので、現在、これらを「ニンマの六法」と呼ぶこともあるが、カギュ派が本家でニンマ派だけではなく、サキャ派やゲルク派にも伝えられている。また、「イェシェ・ツォギャルの六法」は『大幻化網六成就法』を基とするドゥジョム・リンポチェのテルマであり、これらを「ニンマの六法」と呼ぶ人もいる。
  5. ^ 「ヤンティ」は、その内容から、「閉関成就法」(閉ざされた場所での一定期間の瞑想法)、あるいは「黒関成就法」(暗闇での瞑想法)と漢訳される。アヌヨーガに属する微細な意識を観察する瞑想法で、14世紀の「北のテルマ」の法流が典拠。数種類の系統のテキストがあり、現在はカギュ派やサキャ派にも伝えられていて、ニンマ派の「北のテルマ」の教主であるタクルン・ツェトゥル・リンポチェやトゥルシク・リンポチェ、ドゥク・カギュ派のドゥクチェン・リンポチェによる「ヤンティ」の伝授は世界的に知られている。
  6. ^ ニンマ派の開祖、その事跡の多くは伝説と謎に包まれている。ティソン・デェツェン王の招きによってチベットを訪れ、サムイェー寺の建立(西暦771年に完成)に携わり、主に密教経典の翻訳事業に深く関わり、その後、ランダルマの破仏が始まる直前の西暦834年頃までチベットに滞在していたとする説もある。
  7. ^ 敦煌文献には吐蕃時代の古い密教を伝える資料が残っているが、その中には、現行のものとは異なる九乗教判を記した、年代的には比較的新しい写本がある(田中公明 『図説 チベット密教』 p.151 参照)。
  8. ^ 「血族の系譜」と「弟子の系譜」とがあり、前者は主にドゥジョム・リンパ (1835-1904) からその息子、ドゥジョム・リンポチェ (1904-1987)、ティンレー・ノルブ・リンポチェ (1931-2011)、ガラプ・ドルジェ・リンポチェやギェーパ・ドルジェ・リンポチェ(1960-) へと伝えられた。多くのテキストがあるが、代表的なものはゾクチェンの詳細な解説書であるドゥジョム・リンパ著『ナンジュン』。重要な教えに、八大ヘールカ法に属する大法であるプルパ金剛法の「脈管と風のヨーガ」や、その灌頂の儀軌や次第を解説した『ナンジャン・ブーティ』や、アヌヨーガの教えで、カギュ派で有名な「ナーローの六法」と同様の内容を持つニンマ派の『イェシェ・ツォギャルの六法』等が挙げられる。
  9. ^ カダム派の祖であるアティーシャの師。アティーシャがターラー仏母の啓示によってチベット行きを考えた際に、その可否を相談した人物でもある。顕教の著作には後期インド唯識学の精華を伝える『般若波羅蜜多論』、『唯識性成就』他がある。密教に関する著作はさらに数多くあり、チベット密教の事相面に影響を与えた。
  10. ^ ゲルク派に属するダライ・ラマ14世は、ニンマ派の相承系譜にも名を連ねているダライ・ラマ5世の『秘印集成』の教えの伝承者であるほか、リメー(超宗派)運動を推進した複数の師から各派の教えの伝授を受けており、ニンマ派の教えについてはキャプジェ・ディンゴ・ケンツェ・リンポチェから教授された。
  11. ^ ミパム・リンポチェ(1世)とも表記。
  12. ^ ニンマ派の中観の見解は「大中観」(ウマ・チェンポ:dbu ma chen po)といい、これはゲルク派の中観の見解とは多少異なるので、区別する意味では、別名を「内瑜伽中観」(nang gi rnal 'byor dbu ma)ともいう。主に如来藏を背景とする「瑜伽行中観」(rnal 'byor spyod pa'i dbu ma)や「経部行中観」(mdo sde spyod pa'i dbu ma)に基づくともするが、この分類法は日本のインド学や、ゲルク派のツォンカパの説とは一致しないので学習の際には注意を要する。いわゆる中観の空性を「他空」(gzha stong)と、「離辺」(mtha bral)と、「了義」(ngeg don)の三段に分け、『聖妙吉祥真実名義経』の説を受けて「了義」の空性の現れである覚りの「幻化網現証菩提」(mayajala bhisam bodhi)を説く。この「幻化網現証菩提」がニンマ・カマのゾクチェンの見解における基礎となる。なお、これに対してドゥジョム・リンポチェは更にインド後期密教の唯識の諸説を展開する。
  13. ^ 『伝承祈願文』には、その宗派に共通の祈願文と、各流派の祈願文と、その宗派に共通な根本ラマへの祈願文と、その流派の歴代のラマ(祖師)への祈願文と、自身の根本ラマへの祈願文と、特別なラマへの祈願文がある。長いテキストの修法や、法要の際にはそれらを必ず唱えることになるので、各宗派やその流派の特徴が聞いただけで分かるようになっている。また、チベット密教では内容の長短はあっても四大宗派が共に各『伝承祈願文』を唱え、伝統的にこれを唱えない宗派は存在しない。
  14. ^ 英訳:ソギャル・リンポチェ、RIGPA刊。和訳:中沢新一、T.C.C(旧・チベット文化研究所)刊、1989年。
  15. ^ 中国訳は『西蔵古代佛教史』(寧嗎佛教史)、劉鋭之 翻訳、1969年刊。
  16. ^ 「ペマ・ジュンネー」には、「ツォキェー・ドルジェ」と「グル・ナンスィー・スィヌン」という二つの呼び名がある。「ツォキェー・ドルジェ」(mtsho skyes rdo rje)は『三根本法』の主尊の名前であり、「グル・ナンスィー・スィヌン」(gu ru snang srid zil gnon)は『蓮華生大師八大変化法』(グル・ツェンギェー:gu ru mtshan brgyad)の本尊の名前でもある。
  17. ^ 「シャーキャ・センゲ」はゾクチェンと『大幻化網タントラ』の法統に関する名前。この名前の梵名シャ-キャ・シンハ(漢名:釈迦獅子)の「シンハ」は、ゾクチェンにおける師僧「シュリー・シンハ」(漢名:吉祥獅子)の後半の名前をもらい、その直弟子であり、ゾクチェンの全伝を授かったことの証明である。また、『大幻化網タントラ』の法脈においては、この「シャ-キャ・センゲ」の名前で登場することがある。密教においては、正式な修行者は出家の際に法名と字(あざな)の二つを授かり、これに密号や諡(おくりな)が加わり、通常、二つから四つの複数からなる名前を持つ。
  18. ^ 『藏伝佛教壇城度量彩絵図集』には、『大幻化網タントラ』の種々の曼荼羅を中心に、ニンマ派の主要な尊格の曼荼羅について、その作画法から立体曼荼羅までも、詳細なカラー図版と共に紹介している。
  19. ^ この人物は、インド密教における主要なタントラの重要な伝承者として知られる。梵名の「クク」は犬、「ラージャ」は王様を意味し、ククラージャが犬を飼っていてとても可愛がり、いつも一緒にいたところからこの名で呼ばれた。それゆえ、タンカには犬を抱きかかえた姿で描かれている。
  20. ^ 原文はチベット語、英訳と中国訳『歡喜持明空行 紅宝珠錬』がある。
  21. ^ この項は『寧嗎佛教史』(劉鋭之 翻訳)、他による。
  22. ^ 原文はチベット語、英訳と中国訳があり、英訳はアメリカで賞を受賞、中国訳『大圓満傅承源流』は系統ごとのタンカと血脈の系統図を新たに製作しカラー図版を添付して全二巻、約1000ページを超える大著となっている。
  23. ^ トゥカン(1737-1802)は、トゥカン・ロサン・チューキ・ニマ(Thu'u bKwan blo bzang chos kyi nyi ma)、あるいはトゥカン・チューキ・ニマとも呼ばれるチベット仏教を代表する宗教学者。その著作『一切宗義:善説水晶鏡』(grub mtha shel gyi me long)によって、チベットでは宗派を問わずよく知られている。その内容はニンマ派のみならず、ボン教や当時の印度の諸宗教をも網羅していて、今日では知ることの出来ない歴史的な内容を含み、学問的研究や文化史だけでなく、チベット仏教の各宗派の全体像を理解する上では必須の資料とされている。「ニンマ派の章」では、ゾクチェンとその関連する諸法についての概略と、ニンマ派の各流派における詳細な系譜を載せていて、「カギュ派の章」では、中心となるマハームドラー(大手印)とナーローの六法についての概略と、カギュ派の各流派における詳細な系譜を載せている。また、「ボン教の章」では、その当時の古いボン教の流派の中には、ゾクチェンをボン教の教えとして認めない流派もあったことなどが述べられている。ただし、本人がゲルク派侶でもあるため、現代的な学問の視点から比べると、対立する宗派については研究の及ばない点も多く見られる。
  24. ^ 現代では、ドゥジョム・リンポチェの瞑想に基づくテルマを集めた『ドゥジョム全集』を始めとして、ディンゴ・ケンツェ・リンポチェのテルマを集めた全集、ペノル・リンポチェのテルマを集めた全集、トゥルシク・リンポチェのテルマを集めた全集等々があり、いずれも「カンド・ニンティク」の系統に数えられている。
  1. ^ 『チベット密教』 pp.207-208、『増補 チベット密教』 pp.197-198
  2. ^ 『三万年の死の教え』 p.114
  3. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」、pp.6-7。
  4. ^ 『Die Religionen Tibets und der Mongolei』、pp.94-106。
  5. ^ 山口瑞鳳「チベット仏教」(『講座 東洋思想』5)、p254、p260、p270。
  6. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』ニンマ派の章」、p7。
  7. ^ 『チベット密教』 p.208、『増補 チベット密教』 p.198
  8. ^ a b 『ゾクチェンの教え』 p.195
  9. ^ 『秘伝!チベット密教奥義』(学習研究社)、p284。
  10. ^ 『知恵の遥かな頂』(角川書店)、pp159-166。
  11. ^ 『A Losary of Jewels』(第12世 ドゥクチェン法王;Gylwang Drukpa 著)、「YANGTI RITUAL」、pp55-94。
  12. ^ 『虹と水晶』 pp.62-66
  13. ^ a b Van Schaik (2004), p.8
  14. ^ 『虹と水晶』 p.63
  15. ^ "The Shugden Affair: Origins of a Controversy (Part I)" by Georges Dreyfus. Official website of the Office of His Holiness the 14th Dalai Lama.[1]
  16. ^ 『虹と水晶』 p.55
  17. ^ 『静寂と明晰』 p.208
  18. ^ 『インド後期唯識思想の研究』(山喜房佛書林)、pp.3-6。
  19. ^ 『ダライ・ラマ ゾクチェン入門』 p.185
  20. ^ 『ダライ・ラマ ゾクチェン入門』 p.181, p.281
  21. ^ 『聖妙吉祥真実名經 梵本校譯』(談錫永 譯著)、pp.1-5。
  22. ^ D・スネルグローヴ、H・リチャードソン 『チベット文化史』 奥山直司訳、春秋社、1998年 p.239
  23. ^ 『ダライ・ラマ ゾクチェン入門』 pp.217-218
  24. ^ 『図説 チベット密教』p.148
  25. ^ 中沢新一「ゾクチェン思想の展開3 『リクパィ・クジュク註釈』」(2012年7月29日閲覧)
  26. ^ 『図説 チベット密教』p.148
  27. ^ Van Schaik (2004), p.33
  28. ^ 『虹と水晶』 p.42、『ゾクチェンの教え』 pp.168-169、『叡智の鏡』 pp.134-135, pp.203-204
  29. ^ 『蓮華生大士祈請文集』(全佛文化事業有限公司)、pp.251-268、pp.300-304。
  30. ^ 『藏伝佛教壇城度量彩絵図集』(西藏人民出版社)を参照のこと。
  31. ^ 『大チベット展』、図版ツ74-3。
  32. ^ 『八十四人の密教行者』(春秋社)、pp180-183。
  33. ^ 『八十四人の密教行者』(春秋社)、pp151-154。
  34. ^ 『遥かなるブータン』(日本放送出版社)、pp86-87。
  35. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』 ニンマ派の章」、p111。
  36. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』 ニンマ派の章」、pp.11-14、〔ゾクチェンの歴史的背景〕を参照。
  37. ^ 『大チベット展』、図版ツ74-5。
  38. ^ 『大チベット展』、図版ツ74-4。
  39. ^ 「西蔵仏教宗義研究 第三巻 トゥカン『一切宗義』 ニンマ派の章」のpp.112-120には「深淵浄現教説(zab mo das sana:これが現在はタクナンと呼ばれている)の系統」(原文、和訳)と、ゾクチェンにおける「ニンマ派の宗義との一致や変遷」(原文、和訳)に関して経緯とその理由が説かれ、また、pp.117-123には「ニンマ派の教法の吟味」(原文、和訳)についての事情と必要性を伝えて、いずれも原本のトゥカン]著 『一切宗義:善説水晶鏡』(原文、和訳)に詳しく説かれている。
  40. ^ 『智恵のエッセンス』 pp.206-207




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